運転できない人でもできるようになる世界を妄想したかったけど、やっぱり自動運転の超絶進化しかないという結論に落ち着いた

私は運転ができない。
「運転って楽しいじゃん」と言われれば、「ふざけるな! 運転を楽しくだと!」と思う。
私がドライバーズハイになったら一瞬でヘブンズドライブだぞ。乗ってみるか、お前。

だから前回、こんな記事を書いた。

運転を諦めたら楽になった話―できないことをできないと認める

しかし記事を書きながら、そんな私のような人間にも車の運転ができるようになるには何が必要か、考えてみたくなったのも事実だ。
ということで、車体や道路、交通マナーや法規などから、運転が超絶困難な人でもできるようになる条件を並べていく。

私でも運転できる世界を夢想する

運転を可能にする条件を考えるには、運転を困難にする要素を潰す方法を考えることだろう。
自分の考えだけでは心許ないので、こちらの記事も参考にさせてもらった。

車の運転が超絶苦手な理由をいくつか挙げたので理解して欲しい – おおきちナイトニッポン

運転ができないなんて信じられない、という人にはぜひ読んでほしいし、運転ができない人も読めばなんか元気になります。

しかし私の知識では現実的・理論的には考えられなかった。
したがって、工学的なことは一切無視、真面目さも放棄している。

車体の構造から

やはり運転席から、車幅がつかみにくいのは問題。
運転席からその左右の長さは等しく、またバンパーや運転席から車の後部までの距離もできるだけ短く。
助手席をなくし運転席は前側中央に。

アクセルとブレーキが足元にあるのも大問題だ。
アクセルは「はしる」と書いてある青い大きなボタン、ブレーキは「とまる」と書いてある赤いもっと大きなボタンでいいと思う。
これらを手元に。

そもそも、ハンドルがあってタイヤが4本でないといけない理由もない。
運転困難な人間にとってはバック時のハンドルとタイヤの関係がややこしいし、内輪差とか外輪差とかめんどくさい。
なんかもう、ハンドルの代わりに←(左に進む)、→(右に進む)ボタンとかでいいと思う。
車体の下には賢い脚とかが生えてて、適切な角度を感知して進んでくれるのだ。
肉球のついた猫の脚とか、駄目か?

あと、事故ると大変、というのもよろしくない。
運転下手は事故を怖れて余計に運転しなくなり、上達しない。
だから、多少失敗しても平気な車体が望ましい。シリコンとか。
それでいて頑張って空調とかもつけてくれ。

道路のあり方から

シリコン(仮)の車だと、大量の荷物や人は運べない。
今までの鉄の塊の車で走りたい人もいるだろう。
しかし、シリコン(仮)と鉄の塊がぶつかれば、シリコン(仮)側は死ぬ。
なのでシリコン(仮)車用道路と、鉄の塊車用道路を分けよう。

交通法規やマナーから

まずは免許。シリコン(仮)車と鉄の塊車で分ける。

シリコン(仮)車のほうはともかく、鉄の塊車の運転免許をほいほいあげるのはやめよう。
職業上必要な人とか、ないとよっぽど困る人だけ。
私みたいな空間認識能力が死んでるやつとか、学科試験何十回も落ちてる人とかにもあげるのも、駄目。

ほんの少しだけ、未来に期待もしてみる

少数の「車の運転無理な人」のために、自動車業界や政府が動いてくれることはないし、私もそれをわかって真面目な考察を放棄している(でもブレーキやアクセルのボタン化くらいはしてくれていいとも思う)。
望みがあるとすれば、自動運転の超絶進化と、人の行動範囲の縮小だ。徒歩・バス・電車(・自転車)ですべてのことを済ませられるようになればいい。
運転をできないものと認め、相応の生活ができればいいと思っている私だって、そりゃあできるに超したことはないと思っている。
早くなんとかならないものかね。

運転を諦めたら楽になった話―できないことをできないと認める

私は車の運転ができない。
免許は持っていて、ペーパードライバーを脱却しようと練習をしたこともあったが実にならなかった。
運転できるようになろうと足搔いたのは、約5年。
頭のどこかで「これ、無理だ」と思いつつ、それを認めようとしなかったのだ。
自分や夫、両親の貴重な休日を犠牲にし、お金もたくさん使った。

もう少し早い段階で、無理を無理と認められたら、運転の練習に費やした時間もお金ももっと有意義に使えただろう。
今回は、周りが当たり前にやっていることでも、人によってはそれが困難な(できない)場合もある、そしてできないと割り切った方がいい場合もある、という話をする。

車と私の物語

私が自動車運転免許を取得したのは10年以上前の大学1年生の春休みだった。
けれどもその後7年ほど、私がハンドルを握ることはなかった。
大学時代は車を持つ余裕もなかったし、そもそも1人暮らしの学生が車を持つ必要性など、微塵も感じない場所に住んでいた。
その後も車不要、あるいはなくてもなんとかなる土地に暮らし続けた。

ペーパードライバーでいられなくなったのは、その土地を離れて実家に戻ることになったからだ。
実家は地方都市の中心部から離れた住宅地にある。
近隣にスーパーや美容院はあるが、本屋や図書館、アパレルショップはない。
内科や歯科はあるが、自分の持病に対応する診療科がすべて揃っているわけではない。
中心部にはバス1本で行けるが、そのバスは1時間に1~2本しか来ない。
電車など、通ってもいない。

父も母も言った。
「ここじゃ運転できなきゃ生きていけないよ」
「子供ができたらもっと苦労するよ」
「私らが元気なうちはいいけど、そのうちあんたの送り迎えなんてできなくなるんだからね」
ごもっともである。

私が実家に帰ったとき、私専用の新車は、すでに駐車スペースに駐めてあった。
車選びの際は、私も少し意見を挟んだが、結局は車種も色も父が決めた。名義は母だ。
車両代も私は一部しか出していない。父方の祖母の援助があったからだ。
(従兄も同様の援助を受けていた。どうもそういう慣習が出来上がってしまっていたようだった)
私が「運転すること」になんの主体性も希望もないことを、早くも象徴しているようだった。

就職先はすぐに決まり、着任まで日もあったので、運転の練習をすることになった。
幸い、家の周りは道幅も広く整備も行き届いており、交通量は少なめ。練習には最適の環境だった。
父はともかく、母は専業主婦なので毎日のように付き合ってくれた。より熱心だったのも母のほうだ。
助手席に誰かを乗せれば、車通りの激しすぎない場所なら走れるようになった。

けれども、就職までに達成できなかったことのほうが多かった。
後ろ向きでの横列駐車。
あまり機会はないけれど、縦列駐車。
車線変更。合流。
そして、助手席に誰も乗せずに運転することだ。

限界はすぐそこに

就職後も、貴重な休日を潰し、疲れた身体に鞭打ち運転の練習をした。
時間が取れないこともあり、できていないこと中心のトレーニング。
でも就職前より上達することはなかった。

ここからは、当時私が痛感した、自分が運転にとことん向いていない理由を並べていく。

空間認識能力が著しく低い

そもそも、自分の身体の幅もよくわかっていない。
家具やドアに腕や脚、腰などをぶつけるのはしょっちゅうで、常にどこかしらに痣をこしらえている。

そんな人間に、運転席から車幅やタイヤの距離、バンパーの長さなどがわかるわけがない。
バックミラーやサイドミラーに映った後続車が、遠くにいるのか近くにいるのかもわからない。
ついでに言うと、ミラーに映った車が、自分の車線にいるのか隣の車線にいるのかもわからなくなってくる。
駐車や車線変更ができないというより、もはややらせてはいけないレベルだ。

常に変化する複数の情報を同時に処理しながら身体を動かすことができない

主に、車線変更の際に困ることだ。
後続車との距離、右車線に自分の車が入る隙間があるかどうかなど、処理すべき情報量が多い。
しかも情報は、バックミラーを見てサイドミラーを見て、死角は目で確かめて、と自分の目と顔を動かすことで得なくてはならない。その間、前を見られなくなるのも怖いし、先述した空間認識能力の低さがさらに難度を上げてくる。そして情報(状況)は目まぐるしく変化する。
得た情報に応じて、ウィンカーを出したりアクセルを踏んだりハンドルを切ったりと、することも多い。そしてそういうとき、私の脳と身体はうまく接続せず、車を機敏に動かすことができない。

運転できる人達がどうしてああも簡単に車線変更をやってのけるのか、不思議を通り越して恐ろしくてならない。

ハンドルとタイヤの関係を理解できない

バックで横列駐車するときの話だ。
教本には、「ハンドルは、前進のときもバックのときも、進みたい方向に回す」とある。
バックの際にハンドルを右に回すと、右後方に進むということだ。
でもその「右」は、後ろを向いたら左になる。
駐車のときは、自分の顔を前に向けたり後ろに向けたりするし、車もバックしたり前進したりする。その繰り返しが、特にバック時のハンドルの動かし方をわからなくさせるのだ。
混乱はさらなる混乱を生み、前進するときもハンドルを回すべき方向がわからなくなり、最終的には自分が何をしたいかもわからなくなってくる。
あと、バックでアクセルペダル踏むの超怖い。けっこう強めに踏まなきゃならないの超怖い。ブゥンッ! ってなるの超怖い。
窓開けて顔を出せとかシートベルト外せとかいうのもすげーめんどい。

教本の隅に、過去の私の叫びが書かれていた。
・後ろを見ると、行きたい方向は完全に「左」これでハンドルを右にとか、マジで 狂っとる
・絶っっ対にもっと楽に簡単にできる技術って開発できるよね?? 車体の構造とかハンドルとタイヤの関係とか改善できるよね? メーカーとか業界の陰謀なの?? 怠慢なの?? なんのために? 私のようなのを翻弄するため? 弱者をつくって自分が強者であることに酔うため??

横からガーガー言われるとパニックになる

運転に限らず当てはまることだが、できないところにああしろこうしろと横から次々に言われると、相手がいる方向の側頭部がひんやりと痛くなり、思考停止し、涙が出てくる。
そうなったらもう、練習どころではない。
そもそもペーパードライバーになる前、所内教習の第1回でいきなりそうなっていたのだった。

ペーパードライバー講習を受けても無駄無駄

ここに、ペーパードライバー講習で駐車の練習をしたときの、私と教官の会話を記しておく。
教「駐車できるようになるには、反復練習が不可欠だよ」
私「できなくて、パニックになって泣いちゃうんですよ」
教「パニックになったら、その日はもうやめよう」
私「毎回なるんです」
教「……」
沈黙が教官の代わりに、お前には一生できないよと語っていた。

どうすれば? ねぇ私

試していない方法はまだある。
特殊な訓練(カウンセリングや治療レベルかもしれない)を受けるとか、レース場を借りてカート的なものを1日中乗り回すとか。
バック駐車に関しては、数年前のナイトスクープに登場した練習方法をよいと感じた(動画は見つからなかった)。

探偵! ナイトスクープ2016年05月20日放送回 「バックで車庫入れができない」- gooテレビ番組

でも私は、やらなかった。

みんなができて自分ができないことにどう折り合いをつけるか

結局私は、自分にとっての運転とは努力すればきっとできるようになるものではなく、努力ではどうにもならないハンデなのだと思うようにした。
できないということを認める、受け容れるということだ。

ここからは、引き続き「私と運転」を例にとりつつ、できないこととの折り合いのつけ方を考えていく。

練習によって失ったものと、できるようになる可能性・価値を比べる

まずはお金。
新車代、駐車場代、1度駐車に失敗しぶつけたときの修理代、自動車保険代、ガソリンや車検などのメンテナンス代、ペーパードライバー講習代、教習所への交通費。
免許取得費用もこれに含まれるだろう。

次に時間。
自分だけでなく、協力者(両親、夫)の休日。

そして心だ。
みんなが当たり前にできることをできないことへの劣等感。無能感。
運転というもの、車というものへの不満。
うまくいかないときのストレス。
できないことが生む弊害への不安。

練習を続ける限り、これらの損失は積み重なっていく。できるようになるとは限らない。運転が自分にとってどれほどの価値かもわからない。
だから私は、この不毛とも思える戦いを降りた。

「できるようにならなきゃいけない」ときは

「どうしてもできなきゃ困る」状況に置かれた中~高年女性が運転できるようになったとかいう話なら聞いたことがある。
私にも、「できなきゃ困る」と気づいてようやく自転車に乗れるようになったという経緯はある。
「追い詰められる」というのは、もしかしたら最強の武器なのかもしれない。
けれど、それでも無理、もあるかもしれない。そうなったらあとは状況次第としかいえない。

できないことを認めた後は

練習に費やすつもりだったお金や時間、精神をほかのことに向ける。
(運転の場合、車両代や維持費なども浮く)
送料やタクシー代、実店舗で買った場合との差額が気になるなら、練習に費やす時間を稼ぐ時間に変えればいいだろう。
転居の機会があるなら、車なしでも生活できる場所を選べばいい。
できなきゃ困るときの対策も考えておけばいい。
事故を起こすおそれもなくなる。えっ、いいことづくめじゃん。

あとは、うるさい外野の扱いだ。
「運転できなくてどうやって生きてるの」とディスり半分に、あるいは「やればできるよォ」と無責任に言い放つ連中。
できないものはできないということ、それを認めた方が幸せだということをちゃんと説明する。
説明してもわかってくれないような人は、相手にしなくていいと思う。こいつは想像力がないからな、発想が貧困だからな、で溜飲も下がるだろう。
困ることなんてありませんがなにか、という顔をしていよう。

こめるほどの愛があるなら、贈り物には花束などという安易な考えをやめてくれ

先日、受け取る側の立場を考えない仕送りは困るね、という記事を書きながら、

仕送り(お裾分け)は罪深い【1/2】―私はこれで桃が怖くなった
仕送り(お裾分け)は罪深い【2/2】―子の心親知らずっていうレベルじゃねぇぞ!

花束もけっこう困る、ということを思い出した。

「花が好き」には、大きく分けて2種類の人がいる。
1つは、家に飾っているとか育てているとか、急に何本もの切り花をもらっても喜べる人。
もう1つは、花柄や誰かが手入れをしている花、勝手に育っている花は好きだけど、自分で世話するのはまた別、という人。
私は後者だ。

今回は、「花束を喜べない」立場から、花束を喜べない理由や、贈る立場の心情などを書いていく。
(弔花とお見舞いの花については触れない)

大袈裟だから贈られる

花束が贈られるシチュエーションといえば、祝い事(誕生日、発表会や展示会などのハレの舞台など)、あとはプロポーズだろうか。
カラフルな何種類もの花が数本~数十本も集まればそりゃあ見栄えがいい。
1つでもそれなりの大きさのものを選べば、たくさんのものを贈ったふうになり、格好がつく。
包み紙の可愛い色や、くるくるしたリボンも華やかさを添えてくれる。
包み紙がセロファンなら、かしゃかしゃと擦れる音が、カメラのシャッター音みたいで、さらに場を盛り上げてくれる。
受け取る人も多くは、とりあえず笑みを浮かべてくれるだろう。
祝意や謝意の大きさ、そしてその場の成功を演出するのにちょうどいいのだ。

想像してごらん―花束を喜べない理由

手間がかかる

まず、もらって帰ってきた日。
包装を解いて処分。水を張ったバケツにINして枝をカット(水揚げ)。合う花瓶を探し、水揚げを終えた花を美しく生ける。置き場所を探して、置く。
生けて終わりではない。翌日からも大変だ。
水替えは毎日。長持ちさせたいなら、水揚げもするし、花瓶も洗う。それでも花は少しずつ傷んで枯れていくから、見つけ次第処分していく。その都度ごみは出る。花の量が減ると、最初の花瓶も合わなくなる。花瓶を替える。
普段のルーティーンにこれらの作業が加わることを想像してみれば、その面倒さを感じられることと思う。

花束をもらった人すべてがこの作業を行っているわけではない。
花瓶に生けてずっとそのまま、あるいは花束のまま捨ててしまう人もいるだろう。
けれど、真面目で優しい人間ほど、世話を頑張ろうとしてしまう。手入れの方法を知らないからと、わざわざ調べる人もいるだろう。
なぜって花は生き物だもの。雑に扱うだけで、心が痛むのだ。

道具が要る

何種類かの花器に、花切り鋏。すべての家がこれらを備えているわけではない。
いずれも100均で手に入りはするけれど、たまにしかもらわない花のためにずっと持っておくのも勿体ない。

場所が要る

どこに置くかを決めるのにもひと苦労だ。
第1条件は「邪魔にならないところ」だろうけれど、ほかにも長持ちする場所(エアコンの風が当たらない、気温が高くないなど)、少しでもきれいに見える場所など、気にしだしたらキリがない。
そもそも狭い家に住んでいたらどこに置いたって邪魔だろうし、散らかっている家ならどこにおいたってきれいに見えないだろう。

ごみが出る

包装紙、輪ゴム、作業するときに使った新聞紙など、そして花本体。
分別だってしなくちゃならないし、以外と馬鹿にならない量だ。

転居直前などで、世話もごみの処分もできず道具も場所もない場合もある

クワトロコンボじゃねえか。
送別会や卒業式など、花束は別れの演出によく使われる。
別れや出発には、転居を伴うことも多い。本日の主役は、明日引っ越すかもしれないのだ。

いちおうサプライズ

送別会で送られる立場にあるなど、花束を受け取ることになるであろうことは、だいたい予測できる。
けれどもいちおうはサプライズだから、「花束を贈ります」とは言われない。言われないから、「花束はやめてくれ」とは言いにくい。
何度もあることではないから、「次から花束はやめてね」とも言えない。

それに、渡す側に善意があるかどうかはわからないが(仕事や義理ということも多いだろう)、時間と手間とコストをかけて手配してくれたことは間違いない。こうした事実が、花束NG表明をさらに難しくさせているのだ。

ついでに言っておくけど

自分がもらった花束なら、もらった瞬間は嬉しいし、手配してくれた相手の気持ちも汲むから、その後の面倒を想像しつつも愛着は湧く。
しかし、自分以外の人がもらった花束にはそうした愛着はない。
家族が花束をもらって帰り、自分で世話もせずへらへら笑っているとき。
仕方なく、いちおうはやり方を知っている自分が世話せざるを得ないとき。
ほんっっっとあれ、腹立つんだよ。

あげる側は、もらった本人が世話できるか考えた方がいい。
奥さんが専業主婦だからいいだろう、とかではなく、あくまで本人が、だ。

もらった人も自分で世話できないなら、家族の誰かがノーストレスで世話できるかどうかを、考えた方がいい。
できなさそうなら、花束をもらったことを遅滞なく粛々と報告するか、それでも嫌がられたら捨てるしかない。くれぐれも、相手が帰ってくるまでテーブルの上に放置とか、しないでくれ。

余裕がない!

以前の職場で、ワーキングマザーである先輩が、
「うちに花の世話をする余裕はない!」
と言った。
ここに挙げてきた「花束を喜べない理由」を裏返せば、花の世話をする時間や知識がある(家族にそういう人がいる)、道具を持っている、花を置く場所がある、ということだ。それらを備えている状況下なら、花を喜べる心のゆとりも、そうでない人よりはありそうだ。
花束を喜べることは、生活や精神に余裕があることを意味すると言ってもよさそうだ。
そんな余裕がある人、どれだけいるんだろうね?

想像してごらん―それでも花束を贈る理由

    • 花束に手がかかることを知らない
    • 花束に手がかかることに薄々気づいているが、相手に対し「花の世話も好きだろう」と決めてかかっている
      オジサンが女性相手にやりそうなイメージだが、これも決めつけか?
    • 贈る側に考える余裕がない、考えてやる義理がない
      仕事でいっぱいいっぱいのところに、送別会の幹事を押し付けられているとか、相手にも特に思い入れがないとか。
    • 花束が喜ばれないだろうことを想像したうえで、敢えて選んでいる
      嫌いな同僚とか(嫌がらせに花を使うのはやめようね! 花に罪はないよ!)
    • もらったけどいらないからあげる~(ゴミ箱扱い)
      昔の職場(貸し会場の事務所)がこれの被害をよく受けていた。
      とにかく邪魔だし、クソ忙しいのに世話に人手を取られる。はっきり言って迷惑だ(事務室から逃げたいときの口実に、花の水替えに行ったこともあるけど)。

喜ばれない花束なんて、なくしてしまえ

「贈る立場」になった人は

相手が「絶対に喜ぶ!」という確信がない限り、花束はやめておくのが無難だ。
プレゼントを贈るというイベントが何度もある組織(職場やサークルなど)なら、ガイドラインを作り、「贈られる側に選ばせる」などと設定しておくとよいだろう。
それなら、「花束じゃないのか」という人だって、「ガイドラインにあるから」「本人の希望だから」と言って黙らせることができる。

私が大学を卒業するとき、サークルの在学生から「花束と焼き菓子、どっちがいいですか?」という打診があった。
特にアパートを引き払ってから卒業式に参加した私にとっては、感心を通り越して感動するほどありがたいやり方だった。
もちろん私は、焼き菓子にしてもらった。

相手が喜ぶかわからないけど、どうしても花じゃなければいけないなら、プリザーブドフラワーとか紙製ブーケにすればいい。
ただし、生花より値が張るのが一般的なようだから、予算か見栄え、優先順位の高い方を取ることになる。

「もらうかもしれない」人は

自分が受け取る立場でないうちに動こう。
継続的な組織なら、前述のように、ガイドラインを作るとか、花束でないプレゼントを贈るという前例を作っておくとか。
あとは普段から、「自分が贈り物をするなら、花束は避ける」とアピールすることだ。

喜ばれない花束なんて、悲しいからさ。

仕送り(お裾分け)は罪深い【2/2】―子の心親知らずっていうレベルじゃねぇぞ!

実家や義実家からの仕送り(お裾分け)がしんどい。
頼んでもいないのに寄越された仕送りの箱(お裾分けの紙袋)には、野菜や果物、お菓子や日用品と一緒に、あらゆる「煩わしい」が詰め込まれている。

親たちからの仕送り(お裾分け)について、前回は嫌な仕送りあるあるや実例を紹介した。
後半となる今回は、仕送り(お裾分け)する親側の心情と、対策方法について述べていく。

前半:仕送り(お裾分け)は罪深い【2/2】―私はこれで桃が怖くなった

仕送り(お裾分け)する親の気持ちを想像してみる

仕送りやお裾分けが「厄介」になるのは、送る側が受け取る側の立場で考えていないか、考えても間違っているからだ。
しかしこの「奴らは想像力がない!」という断罪も一方的すぎるので、仕送りする親の心情を、子の側から考察してみる。

継承されし習慣―それが親の勤め―

子供の頃、遠くに住む祖父母(特に母方)から、よく仕送りが送られてきた。
ある程度分別がつくようになった私が、母に「頻繁に送ってくるね」「多すぎない?」などと言うと、母は「モノが多いほどいいと思ってる世代だからね」と言った。
その時の母が、無邪気に喜んでいたか、苦笑いをしていたか、あるいは溜息をついていたかはよく覚えていない。
しかし現在でも、自分が買ったモノだけでも冷蔵庫やパントリーを食料でいっぱいにし、廊下までも食材置き場にしている母を見ると、母は祖父母の仕送りを享受していたと考えるのが妥当なようだ。
「モノが多いほどいい」という大量消費志向は祖父母から母へしっかり受け継がれ、その行動も見直されることなく継承されている。
時代や価値観が変わったことに気づいていない、思考停止しているといえるだろう。

電話をしてよ

母方の祖父と父方の祖母は、中元と歳暮を互いに贈り合っている(母方の祖母と父方の祖父は他界)。
父方の祖母によると、あるとき「手間ですから、やめにしましょう」と提案したが、母方の祖父に「これくらいしか連絡を取る機会がないので」と言われたので続けている、ということだった。
仕送りとはニュアンスが少々異なるかもしれないが、もうこの祖父の台詞が正解の1つだと思う。

幼い頃の私自身も、祖父母から仕送りが届いたとき、母からお礼の電話をかけさせられていた。
母いわく、「あんたがそうするのが一番喜ぶから」。
母方の祖母に電話をかけた場合、私と交替した母は長電話をしていた。親戚がどうのとか、地元の人がどうのとかいう、他愛のない話ばかりのようだった。
やはりコミュニケーションの対価のつもりでモノを与えているという側面は大きそうだ。

そういう生き物

うちの母は、とにかくモノを送る。
まずは誕生日や母の日・父の日のプレゼント。
父方の祖母(母からみれば姑)は誕生日と母の日が近いこともあり、母は祖母に、「せめて片方にして」と言われた。
しかし母はその後何度も誕生日プレゼントと母の日のプレゼントの両方を送り続けた。
祖母からかなりマジなトーンで注意されたことで、母はようやく母の日のプレゼントをやめた。

そして中元・歳暮。
私の幼い頃の主な送り先は、私の小学校の担任、ピアノの講師、塾の講師などだった。
小学校の同級生で担任に中元や歳暮を贈るのはごく少数。ほかのクラスメイトの前でそのことを言われると恥ずかしかった。
塾の講師に送り先の住所を聞いてこいと言われてその通りにすると、嫌な顔をされた。
私が「先生たちにお中元やお歳暮を贈る必要はない、誰もやってない」と抗議しても無駄だった。それが礼儀、当たり前だと言われた。
その礼儀や当たり前とやらを全員が守ると、教師の家は贈答品だらけになるし、お返しだって苦労する……という想像はできなかったようだ(ちなみに母の両親は教師)。
中学や高校では、学校側から「中元・歳暮禁止」のアナウンスがあったので、母も諦めた。

それでも母に言わせれば「おばあちゃん(母の実母)に比べればずっとマシ」とのこと。
モノを贈るのをよしとする考えは、本人の資質(親の影響含む)ゆえでもありそうだ。

いともたやすく(子供を)喜ばせる素晴らしい仕送り、と思っている

仕送りやお裾分けはモノの選別や梱包などの手間、モノの代金や送料はかかるけれど、言ってしまえばそれだけだ。
深い教養や人を楽しませる話術、実用的な知識、その人物ならではの経験も必要ない。
1日中子供の面倒を見て消耗することも、家事や育児のやり方の相違で実子と揉めるストレスもない。
仕送りとは、少しの手間とお金で、手軽に「よいことをした!」という満足感を得られるコスパ最高の手段なのだ。
(決して、楽しい話をしろとか、家事や育児を手伝えということを言っているのではない。武勇伝とか迷惑だし)

以上を踏まえて、対策を考えてみる

考えられる着地点は、以下の2つ。

  • 仕送り(お裾分け)がなくなる、または回数が減る
  • 内容・タイミング・量の改善

しんどい仕送り(お裾分け)をする側は、受け取る側の立場で考えない。
だから、察してくれるという期待は全くの無駄だ。
けれども、目上の者の注意や公式アナウンスがあれば、やめてくれる場合もある。
ただし、仕送りをする親にとって、子は目上の者でも権威でもない。
だから、相当強く、そして辛抱強く言わないと、仕送りをする親はわかってくれない。

「よかれと思ってやっているのだから」という下手な遠慮は忘れよう。
向こうにだって、金銭や手間というコストがないわけではないし。

送ってほしいもの、そして「絶対に送らないでほしいもの」を伝える

それでも仕送りやお裾分けをしようとする親には、送ってほしいものを伝えよう。
普通に欲しいものを伝えてもいいが、その地域限定のものや、実家で採れた野菜などをリクエストすると、「やっぱり仕送りが必要だ」と思われてしまう。
どこでも買える雑貨や日用品、さらにいえば現金や商品券なら、そう思われるおそれは小さい。
(お米券など、特定の品目の金券は危険かも。お米そのものを送ってきそうだ……)

ただし、「ほしいもの」を伝えるだけでは、ついでにほかのものを寄越してくるおそれが大きい。
「絶対に送らないでほしいもの」を伝えよう。
万が一「絶対に送らないでほしいもの」が入っていたら、返送してもいいと思う。

サプライズ仕送りは論外。ナマモノだろうがなんだろうが、丸ごと返送するくらいでないと、わかってくれないだろう。

子が一番助かるのは、子を煩わさないことだ

仕送りやお裾分けにかかるお金は、自分達の老後資金に回してくれればいい。
仕送り貧乏になった親にお金の無心をされる未来など、想像したくもない。
仕送りやお裾分けなんかどうでもいい。もっとしてほしいことなら、いくらでもある。

実家の片付け。
持ち家の現金化。
できれば生前贈与。
余計な口出しをしないこと。
死ぬまで頭も身体も元気でいること。etc.

「役に立ちたい、喜ばせたい」と言われたら、こう伝えてみよう。

発達障害という称号を得ることでしか救われない世界をどうにかしてよ

以前、「自己肯定感が低く、盛大な損や失敗を繰り返している」という記事を書いた。
自己肯定感が低い理由については様々考えられるが、そのうちの1つとして、「発達障害グレーゾーン(未診断)、あるいはそれに類似した性格」があるのではないかと考察している。

自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う1
(このページの末尾で述べています)

その折に見つけたのが、この2記事。

診察まで3か月待ちは当たり前!? 「発達障害」になりたい人たちが増加。その実態とは?
「あなたは発達障害です」と言ってほしい女性たち…完璧主義の生きづらさ

いずれも精神科医の香山リカ氏によるもの。
6月に発売された著書『「発達障害」と言いたがる人たち―』に関連した記事のようだ。
恥ずかしながら私は、この記事を見かけるまで著書のほうを知らず、現在も未読である。
けれども私にとっては記事のタイトルだけでもああやっぱりという気持ちを強く得ている。

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1つめの記事(診察まで~)によると、発達障害だと診断されたがる理由として、以下が挙げられている。

  • 治療を受け、生活を大きく改善したい
  • 生きづらさゆえに自己肯定感を損ない、それを自分のせい(性格や努力不足)でないと認めてもらうことで自尊感情を取り戻したい
  • 発達障害=非凡な才能 と勘違いしている

私が話題にしたいのは2番目、「生きづらさゆえ自己肯定感を損ない、発達障害の認定を求めることで自尊感情を取り戻したい」人だ。

なぜってそりゃあ、私がこのタイプに当てはまるからだ。
私自身は、発達障害っぽい特性を持ちながら、それを理由に医療機関を受診したことはない。
周囲に信頼できそうな医師がいないということもあるけれど、受診して「あなたの場合は性格、個性」とか「努力が足りないだけ」と言われるのは絶対嫌だ。もし発達障害だと診断されても、現在は治療をせずともなんとかやっているし、治療をしたとして改善するかもわからないのだ。
また私の場合、「発達障害かもしれない」「それっぽい特性を持っている」とわかるだけで、だいぶ楽になっている。
今のところ、受診して傷つくくらいなら、このままでいいと思っている。

2つめの記事(「あなたは~)に登場する女性たちは、それだけではまだまだしんどくて、なんとか病名をつけてもらうことで救いにしようとしている人の一例だ。

彼女たちを苦しめているのは、

何ごとも完璧にしないと気がすまない、理想の自分でないと許せない、という完璧主義的な性格

だという。
さらにそれは先天的な要素ばかりに起因するものではない。

出る杭曲がった杭は折れるまでブッ叩く教育体制とか、1度の挫折で大いなる不利を被る社会経済の仕組み。理想の○○像とかいった幻想の蔓延。
そういったものが「ちゃんとしなくちゃ」「完璧であれ」「失敗してはいけない」という自縛的意識を産む。他人にまでもそれを強要されるから、なおのことつらいのだ。

私はといえば、「ちゃんとしていない」ということより、「著しい欠点があり、そのせいで人に迷惑をかけたり自分を損ねたりする」ということに苦しんでいた。
けれども「発達障害」という言葉、そしてそれが意味するところを知り、救いとしようとしている点では記事に出てくる人達と同じだ。
「発達障害」を知らなければ、今も自己肯定感は低下を続け、大きな失敗をし、失敗がまた自己肯定感を落とし、さらなる損害を招いていることだろう。まさに悪循環だ。

脳を改造することはできない。持って生まれた、あるいは長い年月をかけて作り上げられた性格を変えるのも難しい。
苦しみに堪えようとすれば、心は壊れる。
だから、自分を許し解放するために、「発達障害」と診断されたい(あるいは、思い込んでおきたい)。
つらい現状より、心を損なうより、「障害」というレッテルを自分に貼るほうが遥かにマシなのだ。

1つめの記事では、

彼らに必要なのは、診断名じゃない。心を支え、その人らしい暮らしを送るための支援だ。

としている。

「支援」とは何を指すのか、記事では触れられていない。
けれども、発達障害にかかわる人、あるいは生きづらさを抱える人は数多いる。
「金銭的支援」「教育的支援」だけでは該当者が多すぎてキリがないし、そもそも「生きづらさ」が発生する状況というのが望ましくない。

結局必要なのは、発達障害についての正しい知識の啓蒙と、多様性を認めて伸ばす柔軟な教育と社会環境、何度失敗しても再起できる構造づくりなんだと思う。民間でもできないわけじゃないけど、行政の力だって必要なことだ。しかも、教育や経済、福祉などいろいろな分野から言われていることだ。
いい加減になんとかしてくれよ。

仕送り(お裾分け)は罪深い【1/2】―私はこれで桃が怖くなった

実家や義実家からの仕送り(お裾分け)がしんどい。
頼んでもいないのに寄越された仕送りの箱(お裾分けの紙袋)には、野菜や果物、お菓子や日用品と一緒に、あらゆる「煩わしい」が詰め込まれている。

「でも親はよかれと思ってるから……」と、この話題に触れるのには躊躇いもあったが、最近、こちらの記事↓
【実家からの仕送りが辛い】送る側は受け取る側に一度もなったことがない、どれだけ迷惑かわからない – 主夫の日々
を読み、「言っていいんだ……!」となんだか勇気づけられた。

というわけで、ここからは親たちからの仕送り(お裾分け)の罪深さを2回に分けて書いていく。
前半となる今回は、困った仕送りあるあると、私自身に起きた弊害について。

ここがイヤだよ親の仕送り

「親がよかれと思ってくれるものにケチをつけるなんて罰当たりだ」という人もいるだろうし、仕送り(お裾分け)に困っている当事者自身も、そう思ってしまうことがあるだろう。そう思わされているということが厄介なのだけど。
けれども世の中には、困った仕送り(お裾分け)が無数に存在するらしい。
以下を読めば、「罰当たり」なんて言っていられなくなるはずだ。
(上記で紹介したブログ記事と内容の重なる箇所もあります)

鮮度の落ちやすい食料品、多すぎる量

冷蔵庫やパントリーを圧迫、時には居室や廊下にまではみ出る大量の食料品は、一番の仕送りあるあるではなかろうか。
荷解きや仕分け、検品に手間がかかる。梱包材の処分もしなくてはならない。
私が特に迷惑と感じるのは、仕送りが届く前に一生懸命に作り上げた食材消費計画を破棄し、またイチから考え直さなくてはならないことだ。
また、「送られてきたものがまだ残っている」という事実すらもこちらを憂鬱にさせる。それは、消費している最中すなわち荷物が送られてきた数日間はストレスを受け続けるということを意味する。

ゲリラ仕送り(お裾分け)

予告ナシで荷物を送りつけてくるサイコな親もいるらしい。
たまたま家を空けていて、しかも中身がナマモノだったら最悪だ。受け取ったときには、すでに傷んでいるということもある。
傷んでいて食べられなかったと報告すると、こういうことをする親に限って「せっかく送ってあげたのに! キィ~ッ!」などと、こちらを悪者にする。
予告があっても、送った後だったり梱包を済ませた後だったり。
それに予告イコールこちらが欲しいものが欲しいタイミングで来るという意味ではない。
結局、トマトを買ったばかりのところに大量のトマトが送られてきたりして、頭を抱える羽目になる。
(私自身はそのような被害を受けた経験はないが、元夫の実家が旅行に出発する直前に、私の実母からナマモノを送りつけられたことがある。もちろん予告ナシで)

こちらの趣味や習慣に合わないモノ

どこで売ってるんだ何故買ったんだというダサい服とか、普段避けている食材とか(そういうのに限って、処理に手間がかかるものだったりする)。
捨てるにしても手間がかかるし、罪悪感がちらとよぎったりする。
売るにしてもやはり手間はかかるし、売れるとも限らない。

不要なモノを押し付けているだけ

普通に捨てた方が手間も省けるはずなのに、古着や採れすぎた野菜などを寄越してくる親もいるらしい。
頭のなかで「要らないものを押し付ける=子供を喜ばせる」という図式があるとしたら、そういう親は子をゴミ箱だと思っているのかもしれない。

ネガティブな気分にさせられる

向こうがモノを調達し、梱包し、発送する手間や送料や喜ばれないモノの値段を考えてもやるせない。
感謝や連絡を要求しているように見えてくるのも鬱陶しい。しかも、穿った見方をしてしまう自分が嫌になる副作用つきだ。
親の発想の貧しさ(親とは仕送りするものだと思い込んでいる、子を喜ばす手段をほかに知らないなど)や、世代間の相互理解の難しさを感じさせられることもある。
このあたりについては、後編で詳しく述べることにする。
仕送り(お裾分け)は罪深い【2/2】―子の心親知らずっていうレベルじゃねぇぞ!(準備中)

近居母のお裾分けのせいで、桃が怖くなった話(饅頭怖い的なアレではなく、マジで)

私は実家の近くに住んでおり、実家からわざわざ宅配便が届くことはない。
しかし、母が気まぐれに自宅に来て、「お裾分け」を置いていくことがよくある。

ここ数年、親戚からのお中元として、実家に桃がいくつか送られてくるようだ。
その半分ほどを、母がこちらに寄越してくる。
私にとって桃とは、処理に手間がかかり、汁が多く手を汚しやすいものだ。
だから、まあまあ好きではあるので外で食べることはあっても、自分で買うことはない。
昨年も、母は桃を4つ持って来た。
自分で買う習慣のない果物が、2人暮らしの家に4つ。多すぎる(8つもらっている母も困っていたのだろうけど)。
圧迫される野菜室。切り方や保存方法、活用方法を調べる。切り慣れていないのもあって、手が汁まみれになる。汁の匂いが染みつく。ほかの食べ物を我慢し、空けた腹に桃を押し込む。まだある。だんだん美味しくなくなっていく。じゅび、という果汁の音が耳障りになってくる。まだなくならない。
なぜたかがフルーツに、ここまで振り回されなくてはならないのか。むなしい。桃なんぞに振り回される自分は、大馬鹿だ。
最後の1個は、同じマンションの住民に引き取ってもらった。けれど私はもう、自分で桃を切ることができなくなってしまった。あのロマンティックなくらい甘い匂いも嫌になってしまった。お店できれいに切ってくれたものならギリギリ食べられるけれど、そんなときでさえも母があれらを差し出してくる光景が脳裡に浮かぶ。

今年も母は桃を4つ持ってきた。「多すぎる」ということまではなんとか伝えられたが、1個だけ受け取ってしまった。
その1個は、切るのも食べるのもすべて夫に押し付けてしまった。
三角コーナーに捨てられた皮からあの甘い匂いが立ちのぼり、とても不愉快だった。

さすがに来年は母が桃を寄越してきても断るつもりでいる。
しかし私が怖いのは、「桃を受け取り、自宅で管理・消費すること」だけではない。
「母に桃を見せられること」からもう怖くなってしまったのだ。

次の話:仕送りは罪深い【2/2】―子の心親知らずっていうレベルじゃねぇぞ!

憂鬱だけど帰省せざるを得ないなら、心に最後通牒を忍ばせてみる?

お盆が近づいてきている。
実家あるいはパートナーの実家に行かなくてはならない、でも憂鬱、しんどいという人も多いだろう。
帰省は義務ではないのだから、行かなければいい――と割り切れれば楽なのだけど、なかなかそうもいかない。

帰省がしんどい理由は後で触れるとして、「しんどいけど帰る」事情や気持ちといえば、
用事もあるから。
会いたい家族もいるから。
うるさく文句言われたり、哀れっぽく絡まれたりするくらいなら、行った方がマシだから。
行かないと親不孝な気がするから。行かずに罪悪感に苦しむくらいなら、行った方がマシだから。
……といったところだろうか。

だから行くけど、でもやっぱりしんどい。

こうした葛藤から少し楽になるために、今回は「心に最後通牒を忍ばせる」ことを提案する。
「最後通牒」といっても、いきなり絶縁を勧めるものではない。

ここからは実親を仮想敵とし、自分の実家に帰省する場合や、近居だけど会うのがしんどい場合について述べていく。

会いたくなくて震える理由

帰省したくない理由を、順不同で挙げてみる。

「結婚しないの?(しなさいよ)」とか「子供はまだ?(さっさと産めよ)」とか言われる。またはその圧力を感じる。
親戚や家族のなかに、そりが合わない人や困った性格の人がいる。
寂しいアピール、老いて弱ってしまった私アピールをされる。
普段住んでいたり働いていたりする場所との、環境や住む人の民度や価値観の落差を突きつけられる。
貴重な休みこそ、本当に好きなことをしたい。ほかのことに時間を使いたい。
新幹線も高速も混んでる。気を遣い、疲れる。娯楽がなくて暇。etc.

その他にも「帰省 したくない」などで検索するといろいろ出てくるが、ひとまず一般的なのは網羅できたかなと思う。

近居の私もできれば親に会いたくない

両親に対する私の考えは、下記の記事が詳しい。
毒親認定したいけどできないなら、ひとまず「準毒親」と考えてみる?(リンク)
(近居も私の判断だが、「両親の近くに住むのがいい」というこの考え自体が、親の呪縛だったのかも)

私の場合、実家と近居なので、「帰省」という感じではない。
ただし両親(特に母)の希望で月1回あって夫を含めた4人で食事することになっているし、あとは不定期に母がどこぞの土産物などを持ってうちに来る。現在のところ、抜き打ちでの訪問はない。

私も両親(主に母)と会うのは憂鬱だし、しんどい。
親からの連絡があってもなくても、いつもこんな葛藤をしている。

親からLINEが来ると気が重くなる。でも、LINEが来るといったって、唐突な小言とか、かまってアピールではない。
親と会うときはいつも身構える。しかし、実際会っても、こちらを嫌な気持ちにさせるような言動が毎回あるわけではない。
欲しくもないものを突然くれるのも厄介だ。けれども、あちらに悪気はないし、もらって嬉しいものもある。

しかし実は、これでも楽になったほうなのだ。
ネット上では私のような葛藤をする人間に味方する(役立つとか安心させてくれるとか)記事も増えているし、近いとはいえ別居していることで精神的に安定してきたからか、あるいは単に図太くなったからか、
「こちらも忙しいからあまり頻繁には会えないよ」
「うちではこんなに食べきれないよ」
などと言うことはできるようになってきた。
そのお陰で、平日のお誘い(ランチとか日帰り温泉とか。いちいち付き合ってたと思うとぞっとする)はなくなったし、もらい物も、本当に困るものの半分くらいは(全部ではない)その場で断れている。

だからといって、憂鬱の種はなくなっていない。
いつ来るかわからない、「子供産め」攻撃だ。

憂鬱の爆弾

私に子はいない。
30代だし結婚して3年経つのだから、両親(特に母)からの「子供産め」攻撃があることは推して知るべしだ。
以前は、2人きりになるたびに「赤ちゃんまだ!?」「子供はどうなってるの!」「妊活してるの?」
と鬼の形相で言われ、その度に受け流してきた。
私は子供を欲しておらず、それを両親には隠している(欲しくない理由についても、そのうち述べていきたい)。
「できないのよォ~!」という気持ちでいるフリをして誤魔化している。

しかし、受け流すことはできても、ノーダメージで済むものではない。
「子供産め」と言われること自体が、鬱陶しいし、ないわけではない罪悪感を喚起するし、非常にしんどい。
「このことで一番苦しんでるのは私なんだよォ~!」と一芝居打ったうえで、今は「母と2人きりにならない」など、言われる状況を作らない努力をしている。

これをあと10年強(見込み)。
現在のところは落ち着いているが、堪えかねた母(あるいは母に唆された父)が、いつ「子供はどうなってるの?」と言い出すかはわからない。これが私の「両親と会うときにおける、憂鬱の爆弾」だ。

ちなみに、子を産むつもりがないことを両親に伝えるつもりはない。
特に母は納得も理解もしないだろうし、後々余計に厄介になるとしか思えないからだ。

「次それ言ったら距離を置く、と言おう」と思ってみることにした

このしんどさを緩和するために、私は心にある備えをすることを試みている。
もし次に「子供産め」攻撃を受けたら、「『次にその話題出したら、距離を置く』と言おう」と考える(=心に最後通牒を忍ばせる)ことだ。
こう考えるだけで今、親と会うことが少し楽になったように感じている。

そうび:もろはのつるぎ(要メンテナンス)

この方法は完全に自己流だ。今現在は考えるだけで楽になっているといっても、今後どうなるかはわからない。
見直していかなくてはならないことはいくつもある。
実際に次に「子供産め」攻撃を受けたとき、本当に言うのか? とか、
言うにせよ言わないにせよ、本当に距離を置くのか、置かないのか? とか、
「距離を置く」じゃなくて、「距離を置くことを考える」でもいいのでは? 逆にもっと強烈に「絶縁する」でもいいのでは? とか。

もし「帰省がしんどい人」が応用するにしても、
何を言われたとき(されたとき)なのか、
「距離を置く」なのか「帰省の回数を減らす」なのか、はたまた「絶縁する」なのか、
言うのか言わないのか、実行するのかしないのか、
慎重に決め、かつ折に触れて見直していくのがよいと思う。

そもそも、こう思えるようになったこと自体が幾分か楽になった証拠で、人によっては、思うことすらもまだやめておいた方がいい場合だってあるだろうし。

実際に「最後通牒」を突きつけるなら

実際に「次それ言ったら(やったら)~」を言えば、相手からの反撃があることを想定し、どちらも相当の痛手を負うことを覚悟しなくてはならない。
私の場合なら、「子供産め」の呪いをさらに強く掛け直されるとか、母が怒り狂い泣き喚き大暴れするとか、ストーカー化するとかだろう。
呪いをはね返す言葉を用意したり、母を落ち着かせる方法を考えておかなくてはならない。

書きながら、これはこれで結構なリスクだと改めて感じている。「子供産まない」と言ってしまうのといい勝負だ。
近いうちに、見直してみよう。

注意!
具体的な方法は述べませんが、こちらが逃げる形での一方的な絶縁は、徹底的に。
転居できない、知人などへの根回しができない、連絡を絶てないなどの場合は、「絶縁」という言葉は安易に使うべきではないです。

参考

トイアンナ氏のこの記事が好き。帰省を乗り切るのに、親の呪いをはね返す言葉を考えるのにいいと思う。
読むだけでカタルシス。
「結婚はまだ?」親戚ハラスメントを解毒する武器を用意しました – トイアンナのぐだぐだ

毒親認定したいけどできないなら、ひとまず「準毒親」と考えてみる?

毒親(毒母、毒父)という概念はここ数年ですっかり広まり、ブームになったとさえいえる。
毒親にまつわるWEB漫画やコラム、書籍などに接することで、数多の「毒親持ち」「毒親育ち」が少し楽になったんじゃないか、と思っている。
かく言う私も、自分に起きている問題が、すべて自分のせいではないとわかり、救われた1人だ。
ただ、自分の親を「毒親」と判断するのには、障壁がいくつもある。

「確かに嫌な思いもさせられたけど、ニュースに取り上げられるような虐待ではないし……」とか、
「親のせいにして、親に甘えているみたい……」とか「育ててもらった恩を仇で返すようで……」とか、
「親だって人間なのだから、完璧な子育てなどできるわけがない」とか、
「事情があったのだから(親自身に障害などがあったとか、自分が育てにくい子だったとか)仕方ない」とか。

こうした思いを抱くのは、仕方のないことだと思う。
しかし、だからといって親や家族関係には全く問題がないと判断したり、逆に無理に親を毒親だと思い込むのは、危険だ。
結局は自分が苦しみから抜け出せなくなったり、あるいは自分の問題と向き合えなくなったりする。

私自身も、家族関係で苦しい、でも自分の親が毒親だと判断しかねている1人だ。
そこで、一旦「準毒親」だと思うことにして、心を落ち着けるようにしている。

この記事は、自分の親を毒親だと判断し、楽になろう! と謳うものではない。
私は「準毒親」という考え方を試してます、ということを言いたいだけだ。
また、「準毒親」という考え方は、ド素人の私が勝手に作ったものだ。使ってくれても構わないが、責任は負いかねる。

私がウチの親を毒親であると疑う理由

毒親かどうか、まずはアタリをつけてみる

「毒親 診断」などで検索すると、毒親診断チェック、毒親特徴リストなどといったものがいくつか出てくる。
試しに受けてみると、私の親は50~75%くらいの確率で毒親だろう、といった感じだった。

機能不全家族(毒親)傾向度 診断チェック – ココオル
毒親診断チェック
もしかして毒親育ち?! 今すぐ診断できるチェックリスト – 毒親特徴まとめ.com

※ 「自分が毒親かどうか」という診断と混同しないよう、ご注意を

ウチの親の行動と、子たる私への影響

さて、以下に問題と思われる母の行動を挙げてみる(父については後述)。
順不同、年とともにマシになっていったものもある。

  • 躾における、過剰な暴力
    ピアノが上手く弾けないだけで、椅子を引き倒され、髪を強く引っ張られた
    ノートに他愛のない落書きをしただけで、鼻血が出るほど叩かれた など
  • 脅迫めいた言動
    「あんたを捨てにいくよ!」と実際に私を車に乗せて遠出した
    包丁を怖がる私の手に包丁の刃を突きつけ「さっさとやれ! 切ってやろうか!」 など
  • 情緒不安定気味
    同じ行動を起こしても、激怒するときとそうでないときがある
  • プライバシーを侵害する
    部屋にノックなしで入ってくる
    一緒に遊ぶ相手、食べたものなどを詮索する
    ノートに絵や文章を書いていると、覗き込む など
  • 持ち物や行動を小馬鹿にする
  • 悪口を過剰に言う
    ターゲットは父、知人、そのときTVに映っている人物 など
  • 望んでもいないことを押し付ける
    逆上がりができないだけで、やりたくもない体操教室に放り込む
    行きたくもない旅行や興味のないお出かけ
    「嫌だ」と言うと、「あんたのためなのよ!」と怒るか「楽しいわよ」と決めつける
  • 大人であること、立場が強いことを笠に着ての呪詛や罵倒
    「可愛くないね! そんなんじゃ嫌われるよ!」「あんたのためよ!」「口答えするな!」 など
  • 体型や体質の欠点で大騒ぎするくせに、私が自発的に外見を整えようとすると怒ったりからかったりする
    女として張り合おうとしていたのだろうか……
  • 父との喧嘩を子のせいにする
    「あんたのことで喧嘩してるのよ!」「あんたがいなきゃ離婚してる」
  • 価値観の植え付け
    「A校よりB校の方がいいわ」「お医者さんになるのがオススメ」
    「普通でいいのよ」と言いつつ、1つでも欠点やできないことが見つかると過剰に問題視する
  • 私の無理なわがままを聞く、なんでも買っちゃう(これは父も)

次に、親から影響を受けたと思われる私の行動傾向について挙げてみる。これも順不同だ。

  • 親にされたことをクラスメイトや友人にしてしまう
    叩く・つねるなどの暴力、「バカ」という罵倒、自分の思い通りにさせたがる、できないと罵倒する など。当然、嫌われる。
  • なんでも報告してしまう
  • 1つでも欠点やできないことがあると、隠そうとしたり、できるようになろうと無理をする
  • 悪口を言う癖がつく
    普通のこと、コミュニケーション方法の1つ、強烈なことをたくさん言うと偉い と思い込む
  • 決めつけが多く、自分と異なる考えを受け容れない
    「普通は~」「~に決まってる」「えぇ!? ○○なんてありえない!」 など
  • 単独行動を極端に怖がる、または惨めなものと思い込む
  • 怒られる、嫌われる、非難される、からかわれることを怖れ、言いたいことを我慢してしまう
  • わがままを無理に通してもらったことに対する罪悪感
  • 自己肯定感が低い

ちなみに、父の行動でよくなかったと感じているのは、「私のわがままをききすぎる」「不機嫌さを露わにする」くらい。
「うるさく言わない」「ほとんど叱らない」というのは子供にとっては都合がいい。けれどもそれは、躾などは母に丸投げ、子育ての美味しいところだけを持って行く、というずるい行為でもある。
実際のところ、私がいま問題視しているのは母ばかりだ。嫌われ役を母1人に押し付けることには大成功。
父の関わり方がまた違っていれば、母の行為も少しはマシになっていたかもしれないと思うと、父もまた共犯者といえそうだ。

『毒になる親(原題『Toxic Parents』)』の著者スーザン・フォワードは毒親を「子どもの人生を支配し、子どもに害悪を及ぼす親」と定義している。
私の場合、母は子たる私に自分と同じ価値観や行動パターンを植え付けたり、母の望むように行動したり一時は依存させたりすることに成功している。
もう毒親認定してもいい気はするのだが、しかし私にはまだ、躊躇いがある。

それでも毒親と判断できない、障壁の数々

私自身が毒親認定を躊躇う理由を挙げていく。

  • 明らかな虐待を受けたわけではないし、外から見れば子育て熱心な母と優しい父といったところ。夫も、母を「少し行き過ぎることはあるけれど、特別問題視するほどでもない」と評価した
  • 私自身が育てにくい子であり、両親を疲弊させ、混乱させた。
    私の子供時代については、この記事が詳しい。
    自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う1
  • 現在はだいぶ緩和されている
  • 軽率な毒親認定は危険。「親だって人間なのだから、不完全で当たり前」「親に関係ない問題まで、親に原因を求めてしまうことになるのでは?」など、冒頭で触れたような考え

ひとまず「準毒親」というボックスに放り込んでみよう

今のところ、私は自分の親を「準毒親」と思うことにしている。
そもそも「毒親」という言葉に抵抗があるなら、「グレー親」とかでもいい。

「毒親論」において、親は「毒親」「そうでない親」の二分だけで考えられがちだ。でも多くの親は黒(毒親)でも白(そうでない親)でもなくグレーだろうし、黒であっても黒と認定しづらい事情もある。しかしその状態もまた、苦しい。

だからもう、毒はあるけれど毒親と言い切れない、毒親だろうけれど毒親だと決めにくい事情がある、これからゆっくり判断したい、というなら、ひとまず「準毒親」と思うようにして、一旦楽になればいい。

「準毒親」認定して、その後

親を「準毒親」ボックスに投げ込んで、その後どうすべきか、私にはまだわからない。
具体的にいえば準毒親ボックスに入れたままにしておくか、毒親認定してしまうか、「毒親でない」と考えるかの3択なのだが、おそらく3番目は選ばないだろう、というくらいだ。
(椿木密の戦いはこれからだ!)

参考:毒親 – Wikipedia
親が「毒親」だからといってあなたが不幸になる必要はない 『「毒親」の子どもたちへ』著者・斎藤学氏インタビュー

 

自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う5

「自己肯定感」という言葉が広く知られるようになったのは、ドラマ『逃げ恥』の影響だと思う。
みくりさんが平匡さんを評して「自己肯定感が低い」と言うなど、この言葉がたびたび使われていたのだ。

そもそも、自己肯定感とは「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」という感覚・感情のことだ。
自分を高く評価している、ということではなく、「長所も短所も含め、あるがままの自分を受け容れている」ということらしい。

参考:自己肯定感とは – はてなキーワード

「自己肯定感が低い」。
ここまで私を端的に表現できる言葉は、ほかにないかもしれない。
おそらく私は、失敗や損が多いほうだ。
関わった人達に損をさせたことも多いほうだ。
なぜそうなったか――追えば追うほど、その先には「自分を無価値に思う心」があるように思える。
そして失敗や損をするたびに、自分の存在をさらに認められなくなっていく。

当シリーズでは、「自分の在りよう」と「失敗や損」と「自己肯定感」について、5回にわたって時系列順に考察してみる。
危機感を高めてこうならないための対策を講じるなり、下を見て安心するなり、とにかく誰かの役に立てばいい。
最終回となる第5回は、離婚後から現在に至るまでだ。

前の話:自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う4

出戻りですがなにか

パフェ男と離婚した私は、再び実家で暮らすことになった。
このときの私はパフェ男への憎しみのほか、無力感に苛まれていた。

母には「メガバンクへの就職のときもパフェ男との結婚のときも、ちゃんと相談してくれなかった」
と言った。なるほどその通りだ。そしていずれも大きな失敗に終わった。
これからはもう物事を自分で決めるのはやめよう。親に判断を委ねよう。
そう思って、実家での生活をスタートさせた。

働きたくないでござるけど、そういうわけにもゆかぬ

見つけた就職口は、ある公共施設の事務員だった。
契約職員だが、堅いお仕事ではある。
ろくな職歴もない私にとっては、ありがたい話だと思った。

着任前、職場を初めて訪問した。
上長から説明された勤務内容は、募集要項に「上長の補佐」とか「庶務」などとさらりと書かれていたものより、よっぽどハードで責任が重そうに聞こえた。
人員が足りていない、ともはっきり言われた。
接客もある。適性があるとは思えない。
上長には、「きついけど、本当に大丈夫?」と尋ねられた。
無理かもしれない――そう感じはしたが、当時の私にこれよりマシな就職先を見つけられる気はしなかった。
不安を押し隠して、私は「はい」と言った。

働いてみると思った以上だった。
言われたとおり人手は足りない。モンスター嘱託員はいる。
私の担当業務についてわかっている人がいない(=引継ぎができない)。
契約職員には大きすぎる責任と肩書きを課される。
場当たり的に派遣やアルバイトを補充され、その教育に追われる。自分の業務は後回し。
着任して1年経つ前には、頭痛を感じ、休日に涙が止まらなくなるようになった。
メガバンク勤務のときと同じ、うつの予兆といえた。

すわ休職か契約解除か、と思った矢先に、正規職員が1人補充された。
契約職員たる私の責任は相対的に軽くなり、ストレスも緩和された。
症状はひとまず落ち着いた。

再婚 ―そして現在へ―

しばらくの後、当時の交際相手と結婚し、公共施設は退職した。
それまでも実家から通い両親の手を借りまくってやっと続いていたくらいだったのに、職場は再び不安定になりかけていた。
結婚生活との両立は無理だと考えた(これは自己肯定感どうのという話でなく、本当にそうだったと思っている)。

呪われ女、家を買う。

新婚夫婦の新居は、賃貸にするのがセオリーというものだろう。
夫と私も、最初はそのつもりでいた。
しかし私は、貯金をはたいて中古マンションの1室を買った。
実家近く、しかも2人暮らしには広すぎる間取り。

「家賃を払い続けるのは勿体ない」「子供はできるに決まっている」。
親の考えだった。
離婚直後、自分で決めるのは危険だとあれほど思ったのに、再婚相手についてはほとんど相談もしなかった(詳細は後述)。
新居のことくらい、親の意見に従わなくては――
そう考えて、決めた家だった。夫に「一旦賃貸にして、ゆっくり探そう」と言われもしたが、押し切ってしまった。

敵はウチにいた

話は再婚前に戻る。
さる事情から、特に母親が夫との結婚に反対していた。
母親と本格的な言い争いになったのは、このときが初めてだ(といっても噛み合わず、とてもお話にはならなかった)。
そのとき母は、「子供は絶対に産みなさいよ(産むと誓うなら結婚を認めてやってもいい)」というようなことを言い放った。
母との会話に疲れていた私は、曖昧な返事をしてその場を切り上げた。
結婚前の私に母が浴びせた最悪の台詞4選と、そこから見えてきたこと(準備中)

聞き流したつもりではいたが、しかしその言葉は呪縛として脳裡にしっかりと刻みつけられていた。
だから、本心のところでは子供など欲しくないくせに、夫に対して子供を作るつもりでいる姿勢を見せた。
実家に近くて、広いマンションを買った。

はやく真人間になりたい

母の呪縛は、なかなか解けなかった。
私が一時、自分の希望や考えなどあてにならないとして、「決め事は親に任せよう」と考えていたことが影響していたのだろう。
「本当に産みたくないのだ」という本心を受け容れる、すなわち母の呪縛から解放され始めるまでに、随分な年月を要した。
(パフェ男との婚姻時も「産みたくない」と思っていたが、相手が誰でも同じだったのか、パフェ男限定かわかっていなかった)

夫は偏見や決めつけのない、現代的で柔軟な人物だ。パフェ男とは正反対だと思っている。
自分のしたいことと向き合い、考え、進む道を決めている。私とも正反対だ。
なぜ私のような人間と結婚してくれたのか、不思議なくらいだ。

産みたくない、という私の本心も受け容れてもらっている。
子を望んでいたかもしれないが、口にすることはない。(本当に申し訳ない)
それどころか、私の能力を活かそうとしてくれているし、そのための環境も整えてくれている。
この人との結婚が、自分でした選択で初めての正解だ。

今の生活が、過去に失敗や損を重ねてきたことへのねぎらいか、人を傷つけて回ったことへの「上げて落とすタイプの罰」か、まだちょっとわからない。
でも夫を失えばおしまい、という点で、私は極めて不安定なところにいる。
だからまだ「幸福だ」と言うのはよしておく。

ちなみにマンションは、夫の転勤に合わせ、近く売却するつもりだ。

最後に

誰かの役に立てば、と思いこのシリーズを始めてみた。
けれども書き進めるにつれ、結局一番役に立てているのは自分だと感じるようになった。
書くにあたっては、「自分を責めすぎない、無理に客観的になろうとしない」というスタンスを心がけた。
それが幸いしたのだろう、心が整理されたばかりでなく、自分を癒やし許し受け容れること――すなわち、書くこと自体が自己肯定感の回復につながったと思われる。

役立ちという点でいえば、私の場合、発達障害(グレーゾーン)が自己肯定感を下げる原因の1つだろう。
発達障害(またはグレーゾーン)は、あくまでもたくさんある原因の1つに過ぎないが、無視してよいものではない。
周囲の誰かなり、自分自身なり、心当たりのある人がいれば、できる範囲でケアしてほしい。私のように愚行を繰り返す前に。

私、椿木密の場合

その他、私の自己肯定感の低さの原因となったのは、持って生まれた性格、身体能力の低さ、あとは学校や職場といった環境。
失敗や損といえば、たくさんのお金や時間、職歴や婚歴、そして私に関わった人の心といったところだろう。

このシリーズにおいて、私は何度も「このまま進んでもよい結果にはならない」とわかっていながら行動を進めていた。
そして実際に、予想していたとおりのことが起こる。つまり、失敗や損だ。
そのときの私の心情は、「でも今の状況がつらすぎて」と目の前の安寧に飛びつきたい。
あるいは、「もう考えるの嫌だ」「せっかくここまで来たのだから」と、立ち止まって考え、引き返すことが億劫……といったところだ。
いずれにしたって、考え直したときよりもさらに大きな痛手を被る、ある意味でのセルフネグレクト(もしくは自傷行為)だ。
「戻っても次うまくいく保証はない」「○○(別の選択肢)なんてできると思えない」――自己を低く見積もっているからだろう、と私は考える。

今の私は、運良く自己回復に進めただけの人間だ。
なにかアドバイスできるような立場ではない。
繰り返すが、危機感を高めてこうならないための対策を講じるでも、下を見て安心するでも、なんでもいいから誰かの役に立てばラッキー。
そう思っているだけだ。

自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う4

「自己肯定感」という言葉が広く知られるようになったのは、ドラマ『逃げ恥』の影響だと思う。
みくりさんが平匡さんを評して「自己肯定感が低い」と言うなど、この言葉がたびたび使われていたのだ。

そもそも、自己肯定感とは「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」という感覚・感情のことだ。
自分を高く評価している、ということではなく、「長所も短所も含め、あるがままの自分を受け容れている」ということらしい。

参考:自己肯定感とは – はてなキーワード

「自己肯定感が低い」。
ここまで私を端的に表現できる言葉は、ほかにないかもしれない。
おそらく私は、失敗や損が多いほうだ。
関わった人達に損をさせたことも多いほうだ。
なぜそうなったか――追えば追うほど、その先には「自分を無価値に思う心」があるように思える。
そして失敗や損をするたびに、自分の存在をさらに認められなくなっていく。

当シリーズでは、「自分の在りよう」と「失敗や損」と「自己肯定感」について、5回にわたって時系列順に考察してみる。
危機感を高めてこうならないための対策を講じるなり、下を見て安心するなり、とにかく誰かの役に立てばいい。
第4回は、1度目の結婚から離婚に至るまでだ。

前の話:自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う3

さて、当時の交際相手のことだが

私が休職しても、パフェ男との関係は続いていた。
ちなみにパフェ男とは、大学時代からの交際相手で、勤勉と素朴の男である。

パフェ男についてのエピソードを1つ。
まだ正式配属先でうつに苦しみながら勤務していた時期。
パフェ男には仕事が辛いこと、うつになったことをすでに伝えていた。
ある日曜日、パフェ男と昼食を取っていると、涙が流れて止まらなくなった。
食事を終えてパフェ男とさよならしたら、私は寮に帰るしかない。
寮に帰るということは、月曜日が間近に迫っているという事実に向き合うということだ。
「明日会社行きたくない」と私は言った。
パフェ男は「大丈夫!」と言い、私をカラオケに連れて行った。
パフェ男には、「私を慰める=カラオケか甘い物」という図式があった。
カラオケを終えた後、先延ばしにされた2時間分の憂鬱と絶望感が、まとめて襲ってきただけだった。

パフェ男は、うつは甘えや一時的な憂鬱感のようなものだと考えていたということだ。
結婚をも考えている自分の彼女の抱える問題を、理解しようとしなかったのだ。
(理解してもらおうと私が話さなかったとすれば、それはパフェ男への信頼感がなかったということだ)

滅びに向かう結婚

ここからは胸糞です。本当に最低です、私。

パフェ男と結婚しようという意識し始めたのは、就職活動を終えた頃だ。
パフェ男も同じ気持ちでいたようだった。
ただし私が結婚を意識しだしたのは、メガバンクでの勤務は長続きしないと思ったからだ。
つまり、パフェ男との結婚をリスクヘッジにしていたということだ。

そして実際にメガバンクでの勤務は上手くいかず、休職中にパフェ男と入籍し、首都圏にあるパフェ男の会社の社宅で生活を始めた。

もともとパフェ男に対しては、まともな恋愛感情も1人の人間としてのリスペクトもなかったと思う。
そのうえ療養中の扱いから、信頼感を落としてもいる。
にもかかわらず結婚にまで踏み切ったのは、私がそれほどに追い詰められ、正常な判断能力を失っていたからだ。
復職するにしてもしないにしても、結局私は退職することになるだろう。
その後、まともかつ長く続けられる仕事を見つけられる自信もない。パフェ男には私の安心源となってもらおう――

穏やかな2年に毒の回る

入籍後数ヶ月で私はメガバンクを退職した。
あの上司がいる限り治らない、たとえ別の部署で復職できたとしても、パフェ男の社宅からラッシュの通勤電車に毎日1時間半かけて本社に通うことはできないと思ったからだ。(支店勤務も勤まりそうになかったし)
退職後は、半年もしないうちに治っていたようだった。
まだフルタイムで働く自信はなかったから、在宅の仕事と簡単なアルバイトを初めていた。

パフェ男は、子供を3人欲しがっていた。
自分が3人兄弟だったかららしい。
「1人っ子じゃ寂しいし、わがままになるし贅沢も覚える」とも言っていた(それが1人っ子である私への評価でもあったのだろう)。
「男女1人ずつの双子っていいよね」とも言うこともあった。
ドラクエ5の主人公にでもなりたかったのか、お前は。
3人産むのも双子を身ごもるのも母体にとってはとてつもない負担だ。
現実や妻の気持ちを飛び越えて、パフェ男は1人、幸せな夢を見ていた。

対する私は、子供を欲しいと思ったことがなかった。
パフェ男の希望を知りつつ、それでも結婚した。重ねて言うが、冷静でなかった。自分の本心を突き詰めることをしなかった。
2~3年経てば子を持ちたくなるだろうと楽観視していた面もある。
入籍当時、パフェ男26歳、私24歳。
だから「2年間は2人の暮らしを楽しもう」という合意を取り付けた。
親族にも堂々とそう言った。

けれども2年経っても、子を望む気持ちは湧かなかった。
寧ろ、「絶対に嫌だ」と思うようになっていた。

やっぱ無理無理ほんと無理

「子を作らない」と合意していた2年間、溜めに溜めた毒は次々に潜伏期間を終え、回り、暴れ出していた。

休職中に、バカな上司からかばってくれなかったこと。
結婚後も、隔週の面談は続いていた。
パフェ男との結婚で住居こそ首都圏に移り、移動の負担こそ減ったが、精神的負担は変わらない。
そんなことパフェ男にもわかっていたはずなのに、パフェ男は「断ってもいいのではないか?」というアドバイス1つすらくれなかった。
(前回にも書いたが、当時の私は「命令だから行かなきゃいけない」に支配されていたのだ)
ようやく「面談行きたくない」と言葉にできたとき、パフェ男は「やだねえ、頑張れ」と慰めただけだった。
遅すぎるとわかってその不満を吐露すると、「俺だって1年目で余裕がなかったんだから」とパフェ男は言った。
それはもっともだが、1度Googleで「うつ」と検索する暇もなかったようには見えなかったのだ。

自分が後輩にいい顔をしようとするためだけに、留守時に勝手に人を入れる。
外面はいい癖に、運転時はすぐにイライラしだす。
近くの公営住宅の住民を蔑んだ発言をする。
冗談交じりに「避妊やめていい?」と言う。というか、隙あらば誤魔化そうとする。
俺は優しいんだぞという顔をしながら、前時代的・体育会的・男尊女卑的思考。
無意識らしき、妻を見下す言動(お互いさまだけど)。

結局私は、約束の2年を迎える少し前に、「子供は無理」と言った。
子供を産むことそのものが無理なのか、パフェ男との子供が無理なのか、どちらかもよくわからない。
ただ、無理、だったのだ。

子供無理なら離婚するしかないよな

この時点で私から離婚を切り出すのが正しい道だったと思う。
しかしそうしなかったのは、また1人になるのが怖かったからだ。
離婚すれば、フルタイムで働かなければならない。
ずっと1人で生きられる自信はないから、いずれは結婚相手も見つけなければならない。
けれどもそれができる気がまったくせず、離婚の「り」の字も口にはしなかった。

パフェ男も婚姻を継続し、私の気持ちを変える方針をとった。
私がパフェ男に説明した「子を持ちたくない」理由は、「産まれたところで幸せにはなれないだろう」「育てる自信がない」などといったところだった。本心ではあるけれど、全部ではない。
だからパフェ男は私を元気づけ、「人生は悪くない」「産んだ子はきっと幸せになるし、産んだ自分達も幸せだ」と私に思わせようとした。
けれども「結婚してもらっている」立場で、さすがに負い目も感じている私にさえ、その方法はお粗末に思えた。

パフェ男がとった方法は、「旅行に連れてく」の1点だった(近場で1泊×2回)。
旅行に行くことで、「人生は悪くない」と思い直せるくらい、問題は単純だと思っていたようだ。
それに、「気晴らしや息抜き、あるいは自分へのご褒美といえば、旅行」という、超シンプルかつバリエーションに乏しい思考パターンも怖い。
妊娠~子育て時に心ない言葉を投げかけられたり、ちょっと子供をあやしただけでイクメン面されそうで、大きなストレス源になりそうだと感じた。
移動や宿の手配などの負担がパフェ男にかかった。しかしそれを申し訳なく思っても、感謝の気持ちは生じなかった。

一方でパフェ男は、この子供の件を、会社の上司に相談していたという。
上司は「納得いくまで話し合うしかないよ」と言ったらしいが、そりゃそう答えるしかないよ、他人のことだもの。
上司も随分困ったことだろう。

あとは、実母(私からみて姑)にも。
姑自身は善人で、パフェ男との距離を適切に保とうとしていたように見えた。
姑は息子の望みを叶えることを前提として、けれどもその場にいなかった私を責めようとはせず(パフェ男曰く)「密ちゃんを大事にしなさいよ」と言ったらしい(その後1週間後くらい、パフェ男は私に媚びていた)。

上司へ相談したことは問題を軽く扱われたと、姑に相談したことを、私を敵認識し自陣を固めようとしている(姑の言うことなら即聞くというのも気に食わなかった)と、私は認識した。
パフェ男の気持ちはよくわからない。
自分の行動が、無駄あるいは悪手とわからないほど追い詰められていたのかもしれない。

私はパフェ男への不信感を一層強めた。不信感はもはや、嫌悪に変わっていた。月経も止まった。
パフェ男もそれを感じ取っていた。一向に変わる気配のない(それどころか態度の硬化している)私への怒りが、嫌悪になった。
そしてパフェ男が、「離婚」を切り出した。

懲役3年、釈放です!

パフェ男から離婚を切り出されても、私はすぐには受け容れなかった。
ここまで関係が悪化しても、パフェ男に我慢を強い、自分にも我慢を課し、婚姻を続けようとしたのだ。
自分を卑下し、パフェ男に媚びさえした。
後に無意味だと言われたが、それをわかってすらいた。
自信も、自己肯定感も、そこまで落ちていたということだ。地に落ちたどころか、地底に潜ってマントル深く突き刺さっていたのだ。

互いの親を交えた話し合いの後、やっと離婚が成立した。
離婚の前後、とにかくパフェ男が憎かった。
私がパフェ男につけた傷は大きい。3年ものあいだ養わせ、我慢を強い、年月を浪費させ、挙句戸籍を汚したのだ。
なのに、私が負ったダメージを差し引いても、私が抱いた被害者意識は強すぎた。
裏切られた、傷つけられた、ひどい失敗だった、と。

憎しみで頬の内側の肉を噛み千切りそうになりながら、私は実家に戻った。

まとめと考察

今回もパフェ男ばかり悪しざまに書いているが、私からパフェ男に対する言動にも、大なり小なりひどいものがあった。
その自覚はあったということを言い訳しておきたい。

さて、この時期こそ自己肯定感の低さが強烈に影響している時期はほかにないと思う。
パフェ男との結婚と退職について、当時の私は隠居のように考えていた。
できればこのままハードワークせず、ついでに出産も子育てもせず、穏やかに余生を送りたい――
本気でそう思っていたのだ(相手にとっては堪ったもんじゃないな)。

でも一方で、メガバンクへの就職と同様、破綻も少しながら脳裡にちらついていた。
好意もリスペクトも感じない相手、子供についての擦り合わせができていない相手との結婚だから、当然だ。
やがて駄目になることを予感しながら、それでも現状のつらさに堪えかねて飛び込む。
相手を巻き込んでいるのだから、精神的な無理心中だ。

また、パフェ男への憎悪も、自己肯定感の低さに由来していると考えられる。
当時の私にとってのパフェ男は、おそらく、見下すことで自己肯定感を補完するための存在だった。自分が生き長らえることを許すための存在だったのだ。
だから、パフェ男からの離婚の申し出は反逆だと思えた。
高さのある踏み台を急に抜かれ、地に叩きつけられた痛みは相当のものだった。
不思議なことにこの憎しみだけは、パフェ男と断絶して5年以上経過した今でも収まっていない。
一生孤独で苦しめ、いや子供に苦しめられろ、さっさと○ね、いや生きて延々と苦しめ、と思っている。

次回で最後。ようやくタイトルを全部回収できる。

次回:自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う5(最終回)