外から見えそうな露天風呂? その口コミが過剰なのかとか、心の自己防衛策とかを考えてみる

温泉に行くことになった。
宿泊予約サイトで宿を探していると、ある旅館の口コミに
「露天風呂に囲いがなく、明るい時間に女性が入るのは無理と思った」
という記述をを見つけた。
同様の口コミはさまざまな宿で、たまにみられる。

おそらくは外側から見えない構造にはなっているのだろうが、その宿泊客は「見えるのでは」という不安を真面目に吐露しているのだから、まあそう感じる人もいるということだろう。
私自身は、そういった不安を抱くような露天風呂に遭遇した経験はない。
そのような立場から言うのだから説得力はゼロに等しいのだが、けれども私の場合、「べつにいいんじゃね?」と思っている。

見える(かもしれない)露天風呂についての、仮の話

私が露天風呂で、柵の隙間から、外を歩く通りすがりの男性に「見られた」と感じたとする。
私はもちろん「げっ」とか思いながら慌てて身体を隠す。
でも次に来る気持ちは、「あーあ見られたねこりゃ。アッハッハ」くらいのものだと思う。
男性がどう思うかはわからないが、まともな感覚の持ち主なら、その場をさっさと離れるだろう。
私としても、男性の気持ちが「きったねぇモン見せやがって」だろうが「見ちゃったウフフ」だろうが、心底どうでもいい。
(もともと釣りなどでその場に留まるつもりの人物なら、また見ることのないように注意するだろう。私も見られ/見せないように慎重になるだけだ)

私もあいつも、だいたいの人の世界においてモブだ

私は男性を知らない。男性も私も知らない。
私は男性を「男のモブ」、おっさんは私を「女のモブ」と認識する。
しかも私はその温泉地に、また来るかどうかもわからない。私と男性は、非継続的な関係だ。顔も記憶しない。
そのできごと自体は覚えていても、そして仮にどこかで再会しても、「あのときの男/女」ということにはならない。

つまりこの場合、私は裸を見られたとしても、自分という「個」が傷つけられたとか汚されたという気持ちにはならないのだ。
(繰り返すが、男性側の気持ちは深く想像できないので、今回は割愛する)

ではなぜ隠れるかというと、これは大した問題ではない。
もともと裸は無闇に見せるもんじゃないとしっかり刷り込まれているし、そもそも見せたくない。それを見える状態のままにしておくと、男性が立ち止まって凝視しないとも限らないからし。
凝視されたらその段階で、私と男性の関係に変化が生じる。
互いにモブという性格が薄れ、自分という「個」が傷つけられ/汚され始めるのだ。

傷つけられる/汚されるのは私ではなく

仮に私が傷ついたり汚されたりといった気持ちにならなかったとき、代わりにダメージを受けるものがある。
私が「私個人に課されたかもしれない傷または汚れ」を受け流して、「男性の、私に対する認識=私の属性」に押し付けたのだから、つまり、なにか傷つけられる/汚されるものがあるとすれば、それは「(その露天風呂で入浴する)女性たち」ということになる。

見えるはずがない、という安心感が一番

もともと私は「外から露天風呂が見えるんじゃないかとか、ないから」とか「気にしなくていいんじゃね?」という主旨の記事を書こうとしていたのだが、考えているうちにそうでもないことに気づいた。
露天風呂の目隠しを訝る人が心配したり怒ったりするのは、実際に外から裸を見られたのでなくとも、傷ついているからだ。傷/汚れを集団に負担させるだけでなく、個人としても受け止めている。
そしてその懸念や怒りを表明することは、露天風呂に入る人たちの心を守るという意味ももつ。
だから露天風呂が「外から見えるんじゃ……」という懸念を抱かせる構造をしているのは望ましくないし、せめて「外からは見えないから安心して景色を楽しんでね!」という案内書きがあってもいいと思う。
あと、「こういうこと書いたり言ったりするやつに限って、ババアとかブスなんだ」とか言うのもやめようね。

けれども、私のように個人で受け止めることを避け、傷/汚れを集団に課そうとするのも悪いことだとは思わない。
過度な傷を負わなくて済むようにするための、当然の防衛策だ。

繰り返すが、そもそも私は、「見えるんじゃないか」と不安になる露天風呂に遭遇したことも実際に見られたこともない。
(怒りや不快感は集団に還元するから)もし見られても大して気にしない、というのは強がりかもしれない。
仮に見られるようなことがあれば、怒りや不快感はそのような事態を引き起こした宿側に持って行くだろうし、自分が傷つくつもりもない。

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