「産めない気持ち」を書いて整理したら、折り合いをつけられそうになった話


私は子がおらず、これから産むという意思もない。
これまで、このブログ内でも経緯に触れたり理由を考えようと試みるなどしているが、どうもまとまりがない。
このブログのなかでも、現在のところ3本の記事で触れている。

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こうなったのは、もともと「産みたい」という意思がないところに、さまざまな要素が絡み、こじれてしまっている、というのが理由の1つだろう。
というわけで今回は、私の「子を産みたいと思わない(子を持ちたくない)」気持ちを、なるべくわかりやすくなるよう時系列順に整理してみる。

萌芽と同時にほぼ完成

そもそも私は、「産まなきゃまずいのかな……」と悩んだことは何度もあっても、「子を持ちたい」「産みたい」という気持ちが自然と湧き上がってきたことはない。

実は私は、小学校低学年くらいのときに、母を前に「私は子供産まない」と宣言していた。
妊娠~出産における身体への負担はもちろん、周りの親たちの自己犠牲ぶり。その反面、子は大人を利さない。
小学生の私にとって、子供とはそういうものだった。だから「子を持つことは非合理的」と判断したのだ。
幼い子の言うことだ、一時的な気の迷いだろう、と母は本気にせず、「そしたらウチ(母方)の血筋が途絶えちゃう」と笑っただけだった。
以降しばらく、私は子を持つかどうか真剣に考えることも、大人たちに真剣に「子供は絶対産め」と言われることもなかった。

こじらせ第1形態(あと2回も変身を残している)

「産まない」宣言から10年以上経ち、私は相変わらず「欲しい/産みたい」という気持ちを感じることもなかった。
けれども私は20代前半で、「子供は絶対欲しい、できれば3人」と願う男と結婚した。
本心を押し隠し、価値観の擦り合わせもしないまましたこの結婚は、当時の私にとっては現実逃避のようなものであり、今の私から見れば精神的な自死だった。この相手とは後に破綻するので、ここでは「元夫」と呼ぶことにする。

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互いに若かったこともあり、「しばらくは2人の生活を楽しもう」と2年間は子供を作らずにいた。
「この間に私にも子を持ちたいという気持ちが生じるかもしれない」という不確かな目論見もあった。

けれども気持ちは1ミリも揺らがなかった。
そうして私は元夫の前で「子を持ちたくない」と表明し、それを正当化しようと理論武装し、元夫を説得にかかった。
しかし(というか当然ながら)元夫の理解も共感も得られなかった。
それぞれが相手を自分の都合に合わせようとし、互いに悪手を繰り出し、墓穴を掘りまくる。結果、憎み合っての離婚。

離婚に至るまでに、「産みたいと思う気持ちがない」はこじれ、「絶対に嫌!」に変わっていた。
もはや自分でも、「絶対に嫌!」の正体が、
「妊娠・出産・育児が非合理的だから」なのか、
「大嫌いな元夫の子を自分の体内で育て、体外に出してからも育てなくてはならないのが嫌」なのか、わからなくなっていた。
もともと「産みたい」という意思がなかっただけ……というシンプルなことすらも、忘れてしまっていたのだ。

こじらせ第2形態

「産みたくない」という気持ちはそのままだったが、結婚生活から離れたことで、<産むべき⇔産みたくない>のジレンマからはしばらく解放された。「絶対に嫌!」が「欲しくない/産みたくない」くらいには落ち着いた。
けれどもそれも束の間のことだった。
デートをした男に、「子供好き?」と訊かれたのだ。
私は「……普通」と答えるのが精一杯だった。
まあ、嘘ではない。好き嫌いと子を持つこととは別だ。
相手は付き合ってもいない男で、間をつなぐための他愛のない問いだったのかもしれない。男も「普通」と言った。
けれどもこの問いは、「子供欲しくない/産みたくない問題」をこじらせた私にとっては心臓をえぐるようなものだった。
どんな男も、子を欲しがっている。子を持ちたくない女は嫌われる――と、感じたのだ。
男とはそれから交際を始めたが、結婚に至っても「子供を産みたくない」と告白することができなかった。
「子を持ちたくない」気持ちを隠すことは、重大な嘘をつくに等しかった。
結婚を意識しだしてからずっと、私は罪悪感に苛まれ続けた(以降、男のことは「夫」とよぶ)。

こじらせ第3形態

「子供だけは産みなさいよ」(産むというなら、本当はアタシは反対だけど、この結婚を認めてあげる)
と母が言った。

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この台詞もまた、強烈な楔となった。

繰り返すが、私には「子供欲しい/産みたい」という気持ちが自然と湧き起こったことがない。
元夫との婚姻中に「絶対に嫌!」となり、離婚後「欲しくない/産みたくない」レベルに落ち着いていた。
そしてこの「欲しくない/産みたくない」が、母の言葉によりふたたび「絶対に嫌!」になってしまった。
しかし、この時点では「絶対に嫌!」という本心を自覚できず(自覚したうえで押し殺そうとした?)、「子は持つ/産むもの」と自分に言い聞かせるようになった。
それが自分と夫のためだと思い込んだ。

「子は持つ/産むもの」と自分に言い聞かせていた期間は1年半くらいだと思う。
その間に夫と入籍し、新居で生活を始めた。
「子供がいれば……」「子供ができたら……」と口に出す私は、夫にだって「子を持つ気でいる人」に見えただろう。子を持つつもりで、広いマンションを購入した。自分も父親になるつもりでいただろうし、子のいる生活を多少なりとも思い描いていたはずだ。

けれども私は、「子供が……」と発話するときいつも、胸苦しさを感じていた。
結婚式があるから、新婚旅行があるから、腰痛の治療があるから、と言い訳を探しては子作りを遅らせた。
母の言葉は完全に呪いになっていて、何度も頭のなかに反響し、頭痛や情緒の不安定化をもたらした。
結局、苦しさは限界に達し、夫に「子供、欲しくない」とカムアウトした。
夫はすんなりと受け容れてくれた。
でももし、夫が「子供絶対欲しい人」だったら、妻有責の離婚案件だ。元夫と同じことになる。現夫の人生まで汚すところだった。

「子供ができたら」と発話するときはいつも、胸苦しさを感じた。結局現夫には「子供欲しくない」とカムアウトした。有り難いことに夫はすんなり受け容れてくれた。最優先すべきは、自分達2人の人生だ、と。
でも夫が「子供絶対欲しい人」だったら妻有責の離婚案件だ。夫の人生まで汚すところだった。

ボスが弱っていく!

夫へのカムアウト後も、しばらくは苦悩した。
姑は孫の顔を見ることができなくなるし、年をとって後悔するかもしれない。母はうるさい。
けれどもそうした悩みも、ゆっくりとではあるがやわらいでいる。
幸いなことに、ここ1年ほどは「子を持たない選択」を尊重するような風潮も生まれつつあり、また私自身もブログという場で言語化することにより、気持ちを整理できるようになってきた。
いまもその最中だ。
(つい最近の記事で「理由がこじれてよくわからん、でも現状無理」と書いたばかりだし)

そして、ただ「子を欲しい/産みたい」という気持ちが自然と湧き起こってこないだけ――というとてもシンプルな原点を思い出すことができた。
あなたが子を持たない理由は? といえば、今の私はまだ、「育てる自信がないから」「産まない方が合理的だから」と答えるだろう。
けれどももしかしたらいつか、「産みたいと思ったことがないから」と堂々と言い放つことができるようになるのかもしれない。

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