結婚前の私に母が浴びせた最悪の台詞4つと、そこから見えてくること

私は母親が好きではなく、これまでにも母への非難を含む記事をいくつか書いている。
最も詳しい記事:
毒親認定したいけどできないなら、ひとまず「準毒親」と考えてみる?

母への忌避感が決定的となったのは、実はさほど昔ではない。
現夫との結婚の、数ヶ月前のことだ。
このときにした会話での母の言葉は、大きな呪詛となった。またそれらには母の欠点が如実にあらわれていて、「絶対にこうはなるまい」という反面教師になったほか、さまざまな知見を得られるところでもあった。
というわけで、本当は思い出したくもないのだが、今回は当時の母の台詞やそれらに対する私の感想、そして母の心情の考察を記していく。

不機嫌なババア

現夫が「(私と)結婚したい」と両親に挨拶に来た。
夫側の親には承諾を得ていて、私の父も(腹の底はどうあれ)特に反対はしていなかった。
母だけが不機嫌だった。

明言はしていなかったものの、母の反対意思は明らかだった。
理由は単純だ。勤務先が自分の知らない会社。業種は自分の理解の範囲外。学歴も決して高くはない。それだけのことだ。

最悪の台詞たち

ここで紹介する台詞が時系列順であるとは言い切れない。
実台詞やその時の気持ちのいくつかは覚えているけれど、話の流れや自分が何を言ったかは、実はあまり記憶にないからだ。
防衛本能的なものだったのか。とにかく確かなのは、会話のあいだじゅう、とても息苦しかったこと、詰まりながら発話していたことだけだ。

はじまりは、挨拶の数日後。
私の「式場見学した」という発話と、
母の「ハァ!?」という反応だった。
言う私もバカなのだが、当時の私は「言わなければならない」と思い込んでいた。
たぶん、幼い頃からの母との関係性により、なんでも報告する癖が出来上がってしまっていたのだろう。

このような習性に類似した「なんでも親にお伺いを立てる癖」はAC(アダルトチルドレン)によくある特徴なんだとか。
個人のブログだが、この記事などがわかりやすい。

【ACあるある】なんでもかんでもまず親にお伺いを立てるクセ – ますかけにっき。

そのときの私はといえば、脳内でいわゆるもう1人の自分が「言うな言うな」と警告していたし、言いながらとても胸苦しかった。
そして、次の母の台詞につながっていく。

「もしお父さんが反対してたら、アタシが応援してあげるつもりだったのに」

母「アタシは賛成しないよ。お父さんが反対しないから、アタシが反対するんだよ。もしお父さんが強く反対していれば、アタシはあんたたちのこと応援してあげるつもりでいたのに」

私は絶句した。
母のこの台詞には、2つの問題点がある。
1つは、「~してあげる」という恩着せがましい言い方。これは常日頃からの母の習性だ。

なぜあの人は「~してあげる」と言うのか、そして言い続ける人たちへ

もう1つは、父の出方によって自分の態度を変えるつもりだったと言っている点だ。

母の口ぶりは、そのときの攻撃的態度を父の責任にしているかのようだった。
父の出方がどうだろうと、夫のスペックは変わらない。だからいずれにしても、母は反対感情を抱いたはずだ。
あまりの軽薄さに、さすがに母にもの申すのが苦手な私でも、「父の意見に左右されないで、自分だけの意見を言って」と言い返すことができた。
母の反応はよく覚えていない。
腹立たしげに「そうだよ反対だよ」と言ったかもしれないし、怯んで口を噤んだかもしれない。

「おばあちゃんも反対するに決まってる」

次に母が打ってきた一手は、「虎の威を借りる」ことだった。
「おばあちゃん」とは、遠方に住む父方の祖母のことだ。

反対しているのは母である。けれども母は反対するかどうかもわからない祖母を持ち出し、主体たる自分を隠した。
(祖母にとって私の結婚相手など、よっぽど悪い男でなければわりと誰でもよかったと思う)
これも複数の解釈ができるところで、単に「虎の威を借り」てでも自分の要求を通したかっただけなのかもしれないし、他者の存在を借りてでないと意思表示ができないのかもしれない。
情けないのは後者のほうだ。その目的が責任転嫁や、私の敵意を自分からそらすことにあるからだ。
感情や欲求はあるが、それを主張する以上の行動はできないし思慮もしないといったところだろうか。

あの人が「断言」することができるのは、「中身」が死んでるからかもしれない

「アンタ絶対に苦労する」

今してるよ……と私は思った。将来するとしても絶対お前のせいでだよ……とも。
おそらく、夫実家の経済状態や、姑の介護可能性のことを指して言ったのだろう。それはまあ、もっともだ。
しかしこの手の「苦労」は、天涯孤独な富豪とでも結婚しない限りはどこにでもあるものだ。
今更母に言われるまでもない。私は呆れと疲れで、ただ閉口した。

しかしこれは今後、強力な呪いとして作用するおそれがある。
今後、夫実家由来でつらい状況に陥れば、この母の台詞は100%思い出されるだろう。
特別でない、ありふれた「苦労」なのに。
もし母が「ほら言った通りでしょ」と勝ち誇ったら、私は「あなたにさせられた苦労よりはよっぽどマシです」と言い返せるだろうか。

「子供だけは産みなさいよ」

これが母への忌避感をもっとも強く決定づけた台詞といえる。
当時の私は「子を持つのは無理」という気持ちを拗らせていて、この台詞が問題をさらにややこしくした。
私はといえばもう反論する気力もなかったので、「まあね……」と濁すことしかできなかった。

その後の母の反応は、記憶にない。
母は「子産め」というこの要求を私が呑んだと思ったのだろうか。
私が母の要求を呑むことで、母が結婚を認めるような形になったのだろうか。
よく覚えていないのは、その状況があまりに不本意だったことによるストレスゆえだろうか。

「産めない気持ち」を書いて整理したら、折り合いをつけられそうになった話

お話になりませぬな

「今後は、お互いに言いたいことは隠さず言いましょう」
会話はそのような言葉で締めくくられた。
私が言ったような記憶があるが、どんな流れでそのような台詞が出てきたのかは思い出せない。
しかし、口でそう言いながら「母には絶対に本音を話さない」と心に誓っていたことはよく覚えている。
もしかしたら、このときの会話は文字通り「話にならなかった」のかもしれない。
そのことに疲れて、「続きがあればまた今度(=今日はもううんざり)」という意味で、私はそう行ったのかも知れない。

母が論理的・効率的に物事を考えたり話したりするところを、私は見たことがない。
整理されないままの言葉が飛び出すから、話はとっ散らかっている。
言葉が足りないから、相手は文脈からその意味を汲まなくてはならない。それは相手の善意と労力に頼るところとなる。相手は、疲れる。
自分の都合の悪いことを詰められたり、理解の及ばないことを言われると、聞こえないふりをするのが常だ。

かく言う私だって、論理的思考に長けているわけでも、頭の回転が速いわけでもない。適切な言葉を素早く選び取り発話するのも苦手だ。でも、そうありたいとは思っている。
重要な話をするときは特に、じっくり腰を据え、相手の意見をちゃんと聞き、自分も考える時間をたっぷりもらって意思表示し、互いにっって最良の道を見出したい。

でも母が相手では、それが叶わない。まともな話し合いができず、軽い日常会話を交わすので限界なのだ。
先述した母の特性ゆえであり、こちらもその話しぶりや考え方に嫌気がさしてくる。息苦しさや発話の詰まりといった身体反応もある。とにかく一刻も早くこの会話を切り上げたいという気持ちになるのだ。
だから、「話にならなかった」のだろう。

まとめ

すべてを思い出せないにもかかわらず、母の台詞そして母との会話は、私にとってはあらゆる面で非常に示唆的で、家族観・価値観を大いに揺らがしたものだった。わかったことは、

  • (うちの)母とは何者なのか(実はとても無力で脆いものではないかということ)
  • 血のつながった親子であろうと、相容れないものは相容れないし、無理に好意を持とうとしなくていいということ
  • 話をするときやものを考えるときにしてはいけないこと

この会話を思い返すのは、非常にストレスフルな作業だった。
けれど、そうした甲斐はあったのかもしれない。

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