自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う4

「自己肯定感」という言葉が広く知られるようになったのは、ドラマ『逃げ恥』の影響だと思う。
みくりさんが平匡さんを評して「自己肯定感が低い」と言うなど、この言葉がたびたび使われていたのだ。

そもそも、自己肯定感とは「自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」という感覚・感情のことだ。
自分を高く評価している、ということではなく、「長所も短所も含め、あるがままの自分を受け容れている」ということらしい。

参考:自己肯定感とは – はてなキーワード

「自己肯定感が低い」。
ここまで私を端的に表現できる言葉は、ほかにないかもしれない。
おそらく私は、失敗や損が多いほうだ。
関わった人達に損をさせたことも多いほうだ。
なぜそうなったか――追えば追うほど、その先には「自分を無価値に思う心」があるように思える。
そして失敗や損をするたびに、自分の存在をさらに認められなくなっていく。

当シリーズでは、「自分の在りよう」と「失敗や損」と「自己肯定感」について、5回にわたって時系列順に考察してみる。
危機感を高めてこうならないための対策を講じるなり、下を見て安心するなり、とにかく誰かの役に立てばいい。
第4回は、1度目の結婚から離婚に至るまでだ。

前の話:自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う3

さて、当時の交際相手のことだが

私が休職しても、パフェ男との関係は続いていた。
ちなみにパフェ男とは、大学時代からの交際相手で、勤勉と素朴の男である。

パフェ男についてのエピソードを1つ。
まだ正式配属先でうつに苦しみながら勤務していた時期。
パフェ男には仕事が辛いこと、うつになったことをすでに伝えていた。
ある日曜日、パフェ男と昼食を取っていると、涙が流れて止まらなくなった。
食事を終えてパフェ男とさよならしたら、私は寮に帰るしかない。
寮に帰るということは、月曜日が間近に迫っているという事実に向き合うということだ。
「明日会社行きたくない」と私は言った。
パフェ男は「大丈夫!」と言い、私をカラオケに連れて行った。
パフェ男には、「私を慰める=カラオケか甘い物」という図式があった。
カラオケを終えた後、先延ばしにされた2時間分の憂鬱と絶望感が、まとめて襲ってきただけだった。

パフェ男は、うつは甘えや一時的な憂鬱感のようなものだと考えていたということだ。
結婚をも考えている自分の彼女の抱える問題を、理解しようとしなかったのだ。
(理解してもらおうと私が話さなかったとすれば、それはパフェ男への信頼感がなかったということだ)

滅びに向かう結婚

ここからは胸糞です。本当に最低です、私。

パフェ男と結婚しようという意識し始めたのは、就職活動を終えた頃だ。
パフェ男も同じ気持ちでいたようだった。
ただし私が結婚を意識しだしたのは、メガバンクでの勤務は長続きしないと思ったからだ。
つまり、パフェ男との結婚をリスクヘッジにしていたということだ。

そして実際にメガバンクでの勤務は上手くいかず、休職中にパフェ男と入籍し、首都圏にあるパフェ男の会社の社宅で生活を始めた。

もともとパフェ男に対しては、まともな恋愛感情も1人の人間としてのリスペクトもなかったと思う。
そのうえ療養中の扱いから、信頼感を落としてもいる。
にもかかわらず結婚にまで踏み切ったのは、私がそれほどに追い詰められ、正常な判断能力を失っていたからだ。
復職するにしてもしないにしても、結局私は退職することになるだろう。
その後、まともかつ長く続けられる仕事を見つけられる自信もない。パフェ男には私の安心源となってもらおう――

穏やかな2年に毒の回る

入籍後数ヶ月で私はメガバンクを退職した。
あの上司がいる限り治らない、たとえ別の部署で復職できたとしても、パフェ男の社宅からラッシュの通勤電車に毎日1時間半かけて本社に通うことはできないと思ったからだ。(支店勤務も勤まりそうになかったし)
退職後は、半年もしないうちに治っていたようだった。
まだフルタイムで働く自信はなかったから、在宅の仕事と簡単なアルバイトを初めていた。

パフェ男は、子供を3人欲しがっていた。
自分が3人兄弟だったかららしい。
「1人っ子じゃ寂しいし、わがままになるし贅沢も覚える」とも言っていた(それが1人っ子である私への評価でもあったのだろう)。
「男女1人ずつの双子っていいよね」とも言うこともあった。
ドラクエ5の主人公にでもなりたかったのか、お前は。
3人産むのも双子を身ごもるのも母体にとってはとてつもない負担だ。
現実や妻の気持ちを飛び越えて、パフェ男は1人、幸せな夢を見ていた。

対する私は、子供を欲しいと思ったことがなかった。
パフェ男の希望を知りつつ、それでも結婚した。重ねて言うが、冷静でなかった。自分の本心を突き詰めることをしなかった。
2~3年経てば子を持ちたくなるだろうと楽観視していた面もある。
入籍当時、パフェ男26歳、私24歳。
だから「2年間は2人の暮らしを楽しもう」という合意を取り付けた。
親族にも堂々とそう言った。

けれども2年経っても、子を望む気持ちは湧かなかった。
寧ろ、「絶対に嫌だ」と思うようになっていた。

やっぱ無理無理ほんと無理

「子を作らない」と合意していた2年間、溜めに溜めた毒は次々に潜伏期間を終え、回り、暴れ出していた。

休職中に、バカな上司からかばってくれなかったこと。
結婚後も、隔週の面談は続いていた。
パフェ男との結婚で住居こそ首都圏に移り、移動の負担こそ減ったが、精神的負担は変わらない。
そんなことパフェ男にもわかっていたはずなのに、パフェ男は「断ってもいいのではないか?」というアドバイス1つすらくれなかった。
(前回にも書いたが、当時の私は「命令だから行かなきゃいけない」に支配されていたのだ)
ようやく「面談行きたくない」と言葉にできたとき、パフェ男は「やだねえ、頑張れ」と慰めただけだった。
遅すぎるとわかってその不満を吐露すると、「俺だって1年目で余裕がなかったんだから」とパフェ男は言った。
それはもっともだが、1度Googleで「うつ」と検索する暇もなかったようには見えなかったのだ。

自分が後輩にいい顔をしようとするためだけに、留守時に勝手に人を入れる。
外面はいい癖に、運転時はすぐにイライラしだす。
近くの公営住宅の住民を蔑んだ発言をする。
冗談交じりに「避妊やめていい?」と言う。というか、隙あらば誤魔化そうとする。
俺は優しいんだぞという顔をしながら、前時代的・体育会的・男尊女卑的思考。
無意識らしき、妻を見下す言動(お互いさまだけど)。

結局私は、約束の2年を迎える少し前に、「子供は無理」と言った。
子供を産むことそのものが無理なのか、パフェ男との子供が無理なのか、どちらかもよくわからない。
ただ、無理、だったのだ。

子供無理なら離婚するしかないよな

この時点で私から離婚を切り出すのが正しい道だったと思う。
しかしそうしなかったのは、また1人になるのが怖かったからだ。
離婚すれば、フルタイムで働かなければならない。
ずっと1人で生きられる自信はないから、いずれは結婚相手も見つけなければならない。
けれどもそれができる気がまったくせず、離婚の「り」の字も口にはしなかった。

パフェ男も婚姻を継続し、私の気持ちを変える方針をとった。
私がパフェ男に説明した「子を持ちたくない」理由は、「産まれたところで幸せにはなれないだろう」「育てる自信がない」などといったところだった。本心ではあるけれど、全部ではない。
だからパフェ男は私を元気づけ、「人生は悪くない」「産んだ子はきっと幸せになるし、産んだ自分達も幸せだ」と私に思わせようとした。
けれども「結婚してもらっている」立場で、さすがに負い目も感じている私にさえ、その方法はお粗末に思えた。

パフェ男がとった方法は、「旅行に連れてく」の1点だった(近場で1泊×2回)。
旅行に行くことで、「人生は悪くない」と思い直せるくらい、問題は単純だと思っていたようだ。
それに、「気晴らしや息抜き、あるいは自分へのご褒美といえば、旅行」という、超シンプルかつバリエーションに乏しい思考パターンも怖い。
妊娠~子育て時に心ない言葉を投げかけられたり、ちょっと子供をあやしただけでイクメン面されそうで、大きなストレス源になりそうだと感じた。
移動や宿の手配などの負担がパフェ男にかかった。しかしそれを申し訳なく思っても、感謝の気持ちは生じなかった。

一方でパフェ男は、この子供の件を、会社の上司に相談していたという。
上司は「納得いくまで話し合うしかないよ」と言ったらしいが、そりゃそう答えるしかないよ、他人のことだもの。
上司も随分困ったことだろう。

あとは、実母(私からみて姑)にも。
姑自身は善人で、パフェ男との距離を適切に保とうとしていたように見えた。
姑は息子の望みを叶えることを前提として、けれどもその場にいなかった私を責めようとはせず(パフェ男曰く)「密ちゃんを大事にしなさいよ」と言ったらしい(その後1週間後くらい、パフェ男は私に媚びていた)。

上司へ相談したことは問題を軽く扱われたと、姑に相談したことを、私を敵認識し自陣を固めようとしている(姑の言うことなら即聞くというのも気に食わなかった)と、私は認識した。
パフェ男の気持ちはよくわからない。
自分の行動が、無駄あるいは悪手とわからないほど追い詰められていたのかもしれない。

私はパフェ男への不信感を一層強めた。不信感はもはや、嫌悪に変わっていた。月経も止まった。
パフェ男もそれを感じ取っていた。一向に変わる気配のない(それどころか態度の硬化している)私への怒りが、嫌悪になった。
そしてパフェ男が、「離婚」を切り出した。

懲役3年、釈放です!

パフェ男から離婚を切り出されても、私はすぐには受け容れなかった。
ここまで関係が悪化しても、パフェ男に我慢を強い、自分にも我慢を課し、婚姻を続けようとしたのだ。
自分を卑下し、パフェ男に媚びさえした。
後に無意味だと言われたが、それをわかってすらいた。
自信も、自己肯定感も、そこまで落ちていたということだ。地に落ちたどころか、地底に潜ってマントル深く突き刺さっていたのだ。

互いの親を交えた話し合いの後、やっと離婚が成立した。
離婚の前後、とにかくパフェ男が憎かった。
私がパフェ男につけた傷は大きい。3年ものあいだ養わせ、我慢を強い、年月を浪費させ、挙句戸籍を汚したのだ。
なのに、私が負ったダメージを差し引いても、私が抱いた被害者意識は強すぎた。
裏切られた、傷つけられた、ひどい失敗だった、と。

憎しみで頬の内側の肉を噛み千切りそうになりながら、私は実家に戻った。

まとめと考察

今回もパフェ男ばかり悪しざまに書いているが、私からパフェ男に対する言動にも、大なり小なりひどいものがあった。
その自覚はあったということを言い訳しておきたい。

さて、この時期こそ自己肯定感の低さが強烈に影響している時期はほかにないと思う。
パフェ男との結婚と退職について、当時の私は隠居のように考えていた。
できればこのままハードワークせず、ついでに出産も子育てもせず、穏やかに余生を送りたい――
本気でそう思っていたのだ(相手にとっては堪ったもんじゃないな)。

でも一方で、メガバンクへの就職と同様、破綻も少しながら脳裡にちらついていた。
好意もリスペクトも感じない相手、子供についての擦り合わせができていない相手との結婚だから、当然だ。
やがて駄目になることを予感しながら、それでも現状のつらさに堪えかねて飛び込む。
相手を巻き込んでいるのだから、精神的な無理心中だ。

また、パフェ男への憎悪も、自己肯定感の低さに由来していると考えられる。
当時の私にとってのパフェ男は、おそらく、見下すことで自己肯定感を補完するための存在だった。自分が生き長らえることを許すための存在だったのだ。
だから、パフェ男からの離婚の申し出は反逆だと思えた。
高さのある踏み台を急に抜かれ、地に叩きつけられた痛みは相当のものだった。
不思議なことにこの憎しみだけは、パフェ男と断絶して5年以上経過した今でも収まっていない。
一生孤独で苦しめ、いや子供に苦しめられろ、さっさと○ね、いや生きて延々と苦しめ、と思っている。

次回で最後。ようやくタイトルを全部回収できる。

次回:自己肯定感の低い人間は、好きでもない相手と結婚も離婚もするし家だって買う5(最終回)

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